(『会報』2020年4月1日No.258より)

昨今の新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、自民党内では憲法に「緊急事態条項(国家緊急権)」を導入しようという主張が出始めている。この新型肺炎を緊急事態の一つの例として、憲法改正の実験台にしよう(伊吹文明元衆院議長:1月31日談 東京新聞)とか、改憲論議のきっかけにすべきだ(下村博文党選対委員長:2月1日談 東京新聞)などと、国民の不安に乗じて改憲の足がかりに利用しようとするもので、憲法学者や野党からは筋違いの暴論だと批判を受けている。自民党の狙いは、災害危機への備えならば国民の理解が得やすいので、これを改憲の突破口とする考えだろう。

自民党憲法改正草案の緊急事態条項(国家緊急権)案では、一時的にせよ首相が全権をにぎることになり、これについて議論がなされないことに危機感を覚える。災害対応で大切なことは、入念な被害想定や訓練等の事前の準備であり、被害を最小限に抑えるために、現にある法律を充分に使いこなす事である。

よく先進国には殆ど憲法に国家緊急権があるという議論がある。各国の例をみると、憲法上の国家緊急権を定めているのは、先進資本主義国ではドイツだけである。
ドイツでは国家緊急権は憲法上の緊急事態(内乱等)と災害事態(自然災害及び重大な災害事故、テロも含む)に分けられている。悪名高いナチスの「全権委任法」に道を開いたワイマール憲法の「緊急命令」にあたるものは認められていない。また権力濫用を防止し人権を保障するための規定も設けられている。

フランスでは憲法で定めた大統領非常措置権があるが、人権保障のために迅速な異議申立の手続を保証している。災害についてみると、イギリスでは国家緊急権法が制定されていて、国王の名で緊急事態を宣言して一定の事項について政府に規則制定権を認めるものであるが、日本の災害対策法と類似のものである。

アメリカでは国家緊急権は大統領の権限により発動されるが、このような強力な権限を統制するために国家緊急事態経済権限法が制定されている。また大規模な災害時には大統領が緊急事態宣言を発し、第1時的には連邦が対応する。

自然災害時の対応のためにあり得る人権の制限の可能性について考えれば、日本における緊急事態法制においては、停止できない権利条項というのは存在していないし、存在していても訓示的な規定にとどまっている。ドイツに見習うべきは国会の関与や人権保障の規定の方である。
大災害に備えるために必要なことは国家緊急権の発動という事後的な対応に期待するのではなく、事前に災害への準備を滞りなくしていくことこそ重要なのである。

ところで、想定されているのが2013年に施行された新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)の改正である。感染拡大を防止するために企業活動や国民生活を規制する法律で、政府は今国会での早期の成立を目指している。緊急事態が宣言されれば国民の私権を制限する権限が知事などに与えられるもので、集会や移動の自由が大きく制限されかねない。

現政権は閣議決定や立法で改憲をするような極めて憲法を軽視する内閣である。緊急事態を理由に、憲法や法律に手を加えようとする企てには、決して目を離さず、充分に警戒しなければならないと思う。

梶野 理(部落問題研究所職員)