(『会報』2020年8月1日No.260より)

新型コロナウイルス感染症は、この社会の底の浅さ、様々な人権問題を露呈させた。例えば、雇用問題―「コロナ解雇」深刻(『読売』5月24日付)、休業597万人 新規求人22%減 非正規失業97万人(『朝日』5月30日)、 コロナ禍少女からのSOS急増 お笑い芸人岡村隆史の深夜放送4月23日での発言―コロナ禍で収入の減った女性が性風俗的産業に入ってくることへの期待発言について、仁藤夢乃「性搾取されてでも生きざるをえない現実を「自己責任」にして押しつけてきた社会を象徴する発言だ」(『赤旗』7月6日)、③「オミセシメロ」店を脅す張り紙 「自粛警察危うい正義感」(『日経』5月18日)。④障害者働く場ピンチ コロナで作業所半数が減収(『中日』6月4日)。
これらを見ただけでも、大変な問題が起こっていることがわかる。

さて、「人権」を考える場合、日本国憲法を見ればわかるように〈第10条~40条に人権規定〉、国家・公権力(地方自治体を含む)が関与しないことによって実現する人権―内心の自由、信教の自由、言論・表現の自由などの自由権と、その積極的関与 なしには実現しない人権―例えば、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利など、社会権がある。

はじめに挙げた例についていえば、殆どが社会権に係わる問題である。日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の工場及び増進に努めなければならない」。地方自治体(地方公共団体)は、「住民の福祉の増進を図ることを基本として」行政を実施することを課せられているのである(地方自治法第1条の二)。

これらに立って考えるならば、国(各省庁)・地方自治体のすべきことは明白ではないか。1980年代以降、「行政改革」の名前で削減し、さらに削減しようとしている社会保障、社会福祉、労働政策を見直さなければならない。

イージスアショアの秋田・山口への配備の中止はしごく当然のこと、「敵基地」攻撃を云々している場合ではないし、「カジノ」誘致に血道をあげている場合でもないだろう。

奥山 峰夫(部落問題研究所理事)