『 人権と部落問題 』

 巻 頭 言 集

現在二〇〇九年七月号~二〇二一年二月号まで掲載


『人権と部落問題』 巻頭言集

2021年1月号(No.943)



 「起きて見ろ―夜明けだ」
―『よき日の為めに-水平社創立趣意書』から100年―
 
   一〇〇年前の一九二一(大正一〇)年一二月、一〇頁余の薄いパンフレット『 よき日の為めに―水平社創立趣意書』が印刷 ・発行された。復刻版は一九二二年一月二五日印刷、二月五日発行となっているが、その奥付の後に「 ご協力を希望いたします。創立会は、来春京都市( 期日及会場追而通知)で開きたひと思ってゐます」( 『 水平』世界文庫)とあり、また「 大正一〇年一二 月印刷 ・発行」としたものも確認されている( 鈴木良『 水平社創立の研究』)。 版を重ねて発行され、関西を中心に各地へ発送されたのであった。発行人は「 水平社創立発起者」、一年前に燕会を結成した奈良県柏原の二〇歳代の青年、阪本清一郎、西光万吉、駒井喜作たちである。
 表紙に「 芽から花を出し、大空から、日輪を出す、歓喜よ」と四行の詩文を載せたパンフレットの文章の多くは、シラー、ロマン ・ローラン、ゴーリキらの引用文、聖書と仏教典の言葉で綴られている。出典の記載はなく、原文にない文章を入れたりしていることも明らかになっている。情勢分析も活動方針も組織論もなく、およそ新組織創立の趣旨説明書にはなっていない。そのため大会直前になって別に説明の「 一枚文書」を添付することになる。
 ここには、しかし、インドネシアの「 セレベス」へ移住を夢み、自殺さえも考えた苦悩と煩悶の末に、彼らが到達した「 自力解放」、自ら立ち上がることへの確信とよろこびがあふれている。印刷された文字をこえて伝わってくる彼らの「 叫び」がある。阪本清一郎は、多い引用について「 それは単なる借り言葉ではなく、当時私たちに燃えていた部落解放の情熱を、たまたま先人の言葉によって表現したまでにすぎない。…行動をもって『 よき日』の社会を実現せんとするやむにやまれぬ叫びであったのである」( 『 水平』解説)と回想している。
 「 全国内の因襲的階級制の受難者よ。寄って来い… 夜明けの洗礼を受けるのだ、よき日の晨朝礼讃( じんじようらいさん)を勤行(ごんぎよう)するのだ。起きて見ろ―夜明けだ。」
 パンフレット最後の文章である。まっすぐに「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言する翌年の水平社創立へつながる。
                 尾川 昌法


『人権と部落問題』 巻頭言集

2021年2月号(No.944)


 ふたたび被爆者をつくるな 
  ―日本被団協結成65年を迎えて―

 
   原爆投下から75年、核兵器は一発から一万三000発余、核兵器保有国は一カ国から九カ国に増えました。「 核抑止論」が幅を利かせ、終末時計は100秒前、核兵器使用の危機が増しています。
 しかし同時に、「 核兵器禁止条約」が発効し、世界は核兵器の禁止から廃絶に向かっています。条約は、核兵器の開発、製造から使用、威嚇( いかく)まで広範に禁止し、核兵器を違法としました。核兵器保有国が核兵器を使うことは条約に反する行為として極めて困難になります。条約の意義と影響は甚大です。
 唯一の戦争被爆国日本政府は、条約に反対、これまで標榜(ひようぼう)してきた「 橋渡し役」を事実上投げ捨て、核保有国側の橋の上に立ちました。この日本政府の態度は、条約への参加を求める被爆者と国民の願いに反し、恥ずかしく許されません。
 被爆者は、六五年前の1956年8月10日、日本原水爆被害者団体協議会( 日本被団協)を結成しました。結成大会宣言で、「 私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い」合い、「 ふたたび被爆者をつくるな」と国内外で訴え、「 核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償」を国に求めてきました。
 政府は、この要求を65年間拒否してきました。なぜ政府は要求を拒み、核兵器禁止条約に反対するのでしょうか。「 およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命 ・身体 ・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『 一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」という「 戦争犠牲受忍論」を基本政策にしているからです。
 今政府は、言論の自由を許さず国論を一本化し、戦争にひた走っているのではと恐れます。戦後、被爆者の多くが憲法9条を生きる支えにしてきました。戦後を戦前にするな。戦争するな。「 ふたたび被爆者をつくるな」。 被爆者のこころからの願いです。
      木戸 季市(日本被団協事務局長)