『 人権と部落問題 』

 巻 頭 言 集

現在二〇〇九年七月号~二〇二〇年二 月号まで掲載


『人権と部落問題』 巻頭言集

2020年1月号(No.931)

  「主権の存する日本国民として」 「天皇」を考えよう
 
  NHKによる5年に一度の「 日本人の意識」調査がある。天皇に対する意識では、「 昭和」末期には「 特に何も感じていない」という無関心層が相対的に多数だったが、「 平成」には「 好感を持っている」層が増大した。さらに最近では、「 平成」前期に低下していた「 尊敬の念を持っている」層が、25%( 2008年)、34%( 2013年)、41%(2018年)と増大してきた。
日本国及び日本国民統合の「 象徴」としての天皇が、「 好感」といったレベルの支持を得ている程度であれば、目くじらを立てる必要はないのかもしれない。しかし、今回の「 令和の代替わり」に見られたように、目に余るような天皇の政治利用がなされる状況下では、「 尊敬」のレベルにまで行き着いた「 天皇」という存在は、批判や異論を許さない「 象徴」として、民主主義や国民主権にとって大きな脅威 ・障害となりかねない。
現状ではまず、日本国憲法に規定された「 天皇」条項の範囲を逸脱しないように、「 主権の存する日本国民」が天皇に関心を持ち、監視していく必要がある。そして前天皇のもとで憲法に規定の無い「 公的行為」が増大してしまったなかで( 憲法とは何ら関係の無い皇族方の「 ご公務」まで!)、それらを一挙に全廃できなくとも、まずは大幅に削減させるべきだろう。「 皇室外交」などを政治利用させないことも重要である。また、皇室典範についての議論も進めていかなければならないだろう。
天皇や皇室について、批判的に語ることがタブー視される現実がある。特に「 尊敬」意識の上昇のなかでは、そのタブーによって自由な議論が妨げられ、「 主権の存する日本国民」の成長にとっても根本的な足かせになっていく危険性がある。
根本的には、特定の家系に属する人物に―しかも男系男子に限定して―国家や国民統合の「 象徴」という地位を負わせ、世襲させる制度には様々な点において無理があるのではないか。「 個人の尊厳」に照らしても「 天皇」制度は将来的に続けるべきものなのか。タブーにせず、「主権の存する日本国民」として広く議論していく必要がある。
 
                         西尾 泰広


『人権と部落問題』 巻頭言集

2020年2月号(No.930)

 燕会結成から100年

  ちょうど100年前、1920年5月、奈良県の柏原北方部落に燕会が結成された。第一次世界大戦の講和会議から世界平和を確保するために組織された国際連盟が発足したのは、この1920年1月のこと、世界は大きな転機を迎えていたのである。  2019年10月に安倍首相は国会の所信表明演説で、この講和会議に日本は「 人種平等」を提案したが、各国の強い反対にさらされたと述べた。先の「 戦後七〇年首相談話」(2015年8月)と同様に、植民地支配の認識を欠き、歪曲した歴史認識をひろげるものである。この講和会議のさなかに、朝鮮で三 ・一独立運動が、中国で五 ・四運動が起っていたことを考えれば明らかであろう。どちらも、日本帝国主義の侵略に反対する民族的大運動であった。  さて100年前、燕会結成の中心にいた駒井喜作は二三歳、清原一隆( 西光万吉)は二五歳、阪本清一郎は二八歳、二〇歳代の青年たちであった。  燕会は、低利の金融や消費組合の実践を通して村の民主化を進め、さらに部落解放の理論を学んでいく。第一次大戦後の世界の動向も反映して雑誌の創刊が相つぎ、『 我等』『 デモクラシイ』『 改造』『 解放』『 新社会』らが創刊されたのはすべて1919年、燕会結成の前年のことである。どれも民主主義の思想と運動を指導する論陣を張っていた。『 解放』所載(1921年7月号)の論考、佐野学「 特殊部落民解放論」の結論部が水平社創立趣意書『 よき日の為めに』に転載されたことはよく知られている。  また燕会結成とほぼ同時期にはじまった戦後恐慌によって、労働争議や小作争議が激発する。日本最初のメーデーが上野公園で開かれたのも同じ1920年であった。民主主義運動の広がりが燕会を支えていたエネルギーである。「 自発的集団運動を起こせ」という青年たちの呼びかけに応えて、全国水平社創立大会が開催されたのは1922年3月、燕会結成から2年後のことであった。  私たちは今、2年後に全国水平社創立100年を迎えようとしている。部落問題は今日では基本的に解決されてきているが、完全に解決した地域、なおも同和行政を継続する地域など地域差が見られる。詳細な地域構造の分析など、私たちの課題は多い。

   尾川 昌法