『 人権と部落問題 』

 巻 頭 言 集

現在二〇〇九年七月号~二〇一九年四月号まで掲載


『人権と部落問題』 巻頭言集

2019年4月号(No.922)

   「 九条俳句」問題で何が問われたのか
      ==== 梅雨空に 「 九条守れ」の 女性デモ ====
 
 この句は、さいたま市の女性が、二〇一4年六月に集団的自衛権の行使容認に反対するデモに参加した経験から生まれたものです。この句は所属するサークルの秀作に選ばれ、慣例では『 公民館だより』に掲載されるはずでした。しかし、公民館が「 世論を二分するテーマのため、掲載できない」と掲載を拒否し、それに対する提訴が事の発端でした。
 二〇一七年一〇月さいたま地裁、二〇一八年五月東京高裁、同年一二月最高裁における判決で、不掲載は違法との判断が確定しました。これを受けて、さいたま市教育委員会は「 掲載する」意向を表明しました。この一連の判決において問われたのは、公教育施設における学習の自由と表現の自由の尊重、ならびに掲載拒否の理由となった公民館の公平性・ 中立性の解釈でした。
 とりわけ、この時期、集団的自衛権、安保関連法制の問題をめぐって紛糾しており、憲法、原子力発電、沖縄基地問題など議論の分かれるテーマを取り上げた講演会や展示会などについて、「 政治的中立を保つ」という名目で、地方自治体による公共施設の貸し出し拒否や後援拒否などが相次いでいました。
 こうした事案において、施設利用者の立場と自治体の立場が第三者に誤解されることにより「 行政への支障が生じる」といった主張がなされることが多いですが、この背景にあるのは、政治的・ 社会的に懸案となっているものに関わることは「 避けておきたい、突っ込まれたらやっかいだ」という判断でしょう。
 こうした動向に対して、「 九条俳句」をめぐる公民館と教育委員会側の対応に抗して提訴した意義は大きいものがあります。とりわけ、住民の社会教育活動における学習の成果である表現行為を行政や公民館の立場から一面的に判断し、不公正に扱うことを禁じた点がそれに当たります。職員などの主体的な学習や研修などにより、学習権保障を踏まえた教育施設の役割や運営についての基礎知識や意識を高め、専門的力量の向上につなげていくことも合わせて求められているといえます。
         生田周二( 奈良教育大学)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2019年3月号(No.921)

   高等学校にも道徳教育
 
 教科としての「 道徳」が、二〇一八年度から小学校で始まり、二〇一九年四月から中学校で始まる。高校でも、二〇二二年度から「 公共」の名で実施される。
 二〇一八年三月に告示された「 高等学校学習指導要領」は、公民科三科目のうち現行の選択必修である「 現代社会」を廃止して「 公共」を新設し、必修科目とした。指導要領は、総則に「 道徳教育に関する配慮事項」を特記するなど、高校における道徳教育推進に執着を示している。各校で「 道徳教育の全体計画を作成」し、「 道徳教育推進教師」を中心に全教師が展開すること、その「 中核的指導の場面」「 中核的機能」を担うのが新設の「 公共」であるとしている。
 「 公共的な空間に生き国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ること」が育成すべき資質・ 能力として強調され、「 憲法の下、適正な手続きに則り、法や規範に基づいて各人の意見や利害を公平・ 公正に調整し、個人や社会の紛争を調停、解決することなどを通して、権利や自由が保障、実現され、社会の秩序が形成、維持されていくことについて理解すること」が、「 身につける」べき知識 ・ 技能とされている。社会を「 公共的な空間」と一面化しておいて、法律や適正な手続きによって現実の社会問題を解決することで社会秩序が守られる、という教育である。 
 現行の「 現代社会」は、「 基本的人権の保障と法の支配、国民主権と議会制民主主義、平和主義と我国の安全について理解を深めさせ、日本国憲法の基本的原則について」認識する課題が明記されているが、「 公共」では、「 公共的な空間」がくり返されるばかりで、憲法の体系的学習が削除されている。そして、教えるべき内容として、「 固有の領土である竹島や北方領土」問題、「 尖閣諸島」に領有権問題はないことなどを指定している。つまりは、現在の社会秩序を維持し、国家に貢献する国民道徳を育てることをめざす教科であると言わねばならない。
 二〇二二年に「 公共」は実施される。一八歳となって選挙権を持つ多くの高校生たちから、基本的人権を体系的に学ぶ教科を奪うことになる。        尾川昌法
                                  


『人権と部落問題』 巻頭言集

2019年2月号(No.920)

   「 ヒバクシャ国際署名」を国連に提出
 
 二〇一八年一〇月一〇日、「 ヒバクシャ国際署名」八三〇万四〇三筆( 目録)を国連総会第一委員会( 軍縮 ・安全保障)イオン ・ジンガ議長に提出してきました。
 ジンガ議長は、「 こんなに多くの署名を集め、国連にとどけられたことに感謝申し上げます。…国連総会は一九四六年に核兵器の使用を非難する第一号決議を採択し平和を追求してきました。…被爆者の皆さんが、気高く、二度と同じような悲劇が引き起こされないように自分のとても悲しい経験を証言するという選択をしてくださっていることに深く感銘を受けております」と述べました。
 「 ヒバクシャ国際署名」は、二〇一六年四月に始められた「 被爆者は核兵器廃絶をこころから求めます」という署名です。二〇二〇年まで毎年国連に提出します。世界で数億、国内で国民の過半数を目標にしています。被爆者は、誰も「 原爆地獄」を体験しない、被爆者にならないよう、核兵器のない世界の実現を切望しています。数億の署名が国際政治を動かし、核兵器をなくし、命輝く青い地球を残すことができると確信し、すべての人に署名を訴えています。
一九五六年結成の日本原水爆被害者団体協議会( 日本被団協)は、当初から原爆被害の実相を伝え、核兵器の廃絶を訴える国際的活動と原爆被害への国家補償を求める運動を続けてきました。署名運動開始から一年、二〇一七年七月七日に「 核兵器禁止条約」が国連で採択されました。「 核兵器の終りの始まり」の瞬間です。
核兵器保有国( 米露英仏中)は第七三回国連総会第一委員会で共同声明を発表し、「 核兵器禁止条約」に支持も署名も批准もしないと激しく抵抗しました。それでも二〇一八年の総会は、「 核兵器禁止条約」の早期発効を求める決議を一二六カ国の多数で採択しました。核兵器の廃絶は世界の大勢になっています。
日本政府は、米国の同盟国として条約に反対し、署名も批准もしない態度をとっています。唯一の戦争被爆国の態度ではありません。国民の過半数の「 ヒバクシャ国際署名」を集め、核兵器をなくし戦争をしない日本をつくりましょう。
                       ( 木戸 季市/ 日本被団協事務局長)
『人権と部落問題』 巻頭言集

2019年1月号(No.919)

   「人権」の危機
 
 安倍内閣は、四項目にしぼって「 改憲」を強行しようとしている。  「 九条改正」のほかに、「 緊急事態条項」「 教育無償化」「 参院選の合区解消」である。特に人権認識に関わる「 緊急事態条項」に注目したい。二〇一二年の自民党「 改正草案」では、第9章として新設されていたこの条項を、「 内閣の事務」を規定した第七三条に追加する簡略化がなされているが、その危険な本質は変わっていない。「 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる」とするものである。  「 改正草案」の解説では、「 政令」によって「 国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」( 二〇一二年版、二〇一三年増補版)、としている。人権に大小はない。  さらに「 改正草案」は、人権について、「 現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要がある」と書いている。人権の普遍性は今日の世界において共通した認識である。かつて日中全面戦争に突入した一九三七年、全国の学校・官庁に文部省が配布した『 国体の本義』は、明治憲法の「 臣民権利義務の規定」について、「 西洋諸国に於ける自由権の制度が、主権者に対して人民の天賦の権利を擁護せんとするのとは異なり、天皇の恵撫滋養の御精神と、国民に隔てなき翼賛の機会を均しうせしめ給はんとの大御心より出づるのである」と天皇親政の国体を説明していた。「 西欧の天賦人権説」を拒否する発想は変わらないことに驚く。  人間としての尊厳を認め、それを人権として尊重するという政治原理は人類が到達した叡智であり、世界が認める普遍的価値である。歴史の潮流に逆行する「 改憲」の人権認識を許すわけにはいかない。        尾川 昌法