『 人権と部落問題 』

 巻 頭 言 集

現在二〇〇九年七月号~二〇一七年八月号まで掲載


『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年8月号(No.902)

     「 平和への権利」国連宣言

  一八世紀末にカントは、「 常備軍は時とともに全廃されなければならない」と一時的な平和条約ではない永遠平和の実現を求めた。それは、「 人を殺したり人に殺されたりするために」人が機械や道具として国家に使用されることは「 人格における人間性の権利」と調和しないことを論拠にしていて、ただの空想や理想論ではなかったし、人類の歴史が全体として永遠平和の方向に向かって進んでいる、という信念にもとづいていた( 『 永遠平和のために』)。
 一九世紀末にイェーリングは、「 労働がなければ財産がないように、闘争がなければ権利=法はない」と言ったが、その闘争は手段であって目標ではなかった。「 権利=法の目標は平和であり」、そのための手段が闘争であった( 『 権利のための闘争』)。
 二十世紀に人類は二つの世界戦争を経験した。第一次大戦では、戦争が犯罪であることを認め、「 戦争に訴へざる義務」を国際法の原則とし各国間の平和を完成することを協定した( 国際聯盟規約)。第二次大戦では、「 善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するために」努力を結集する国際機構を結成した( 国際連合憲章)。国連は3年後の総会で「 世界における自由、正義、及び平和の基礎」が「 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めること」である、と宣言した( 世界人権宣言)。
 二〇一六年一二月、この世界人権宣言を想起しながら、国連総会は「 すべての人は、すべての人権が促進及び保障され並びに、発展が十分に実現されるような平和を享受する権利を有する」( 第1条)、と「 平和への権利」を人権とする宣言を採択した。
 人権という自然の尊厳は、世界の人びとの共通認識として進化し実定法化されてきた。カントが、全体として永遠平和の方向に向かって進んでいるといった人類の歴史は、たしかに人類の歴史的発展の大道にちがいない。
                           ( 尾川 昌法)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年7月号(No.901)

     教育勅語と小学校祝日大祭日儀式規程

  安倍内閣は、3月31日、敗戦前の軍国主義教育の精神的支柱であった教育勅語を憲法・ 教育基本法に反しない限り、教材に用いることを否定しないとの答弁書を閣議決定した。この決定は、1948年6月の衆参両院で憲法 ・教育基本法などの精神に反するとして失効確認が決議された事実に悖( もと)る。閣議決定の撤回を要求する声が各界で高まり、拡がっている。
  教育勅語は、1890年10月30日、前年2月11日発布の大日本帝国憲法施行の前月に出された。教育勅語は、翌年6月布告の小学校祝日大祭日儀式規程によると、紀元節( 「 神武天皇」の架空即位日) ・天長節( 天皇誕生日) ・元始祭( 元旦)などの宮中祭儀が国家と万民の祝祭に拡大され、学校儀式で「 奉読」されることとなった。教育を憲法と別立てにした天皇自らの言葉で「 忠君愛国」の精神を小学校1年生から脳裏に浸透させるためにである。右の規程は1903年に改訂され、紀元節 ・天長節・四方拝( 元始祭改め)以外は学校儀式から外れ、1927年から明治天皇誕生日が明治節の呼称で学校儀式を行う四大節に加えられた。1891年規程は、①学校長 ・教員 ・生徒が天皇 ・皇后両「 陛下」  の「 御真影」( 写真)に「 最敬礼」し、両「 陛下」の「 万歳」を「 奉祝」する、②学校長又は教員が「 教育に関する勅語」を「 奉読」し、その趣旨を述べ、あるいは歴代天皇の「 盛徳鴻( こう)業( ぎよう) 」を語り、若しくは祝日 ・大祭日の由来を話し、その祝祭日相応の「 演説」をして「 忠君愛国」の志気を涵養する、③最後にその祝祭日相応の唱歌を合唱すると定めており、①と関連して1893年に「 君が代」が儀式唱歌となった。島崎藤村の『 破戒』は、この規定通りに学校儀式を叙述している。
  1941年にナチ・ドイツに倣( なら)った国民学校へ入学した私は、教育勅語を強制的に暗記させられ2年生までに諳( そら)んずることができた。「 爾(なんじ) 臣民父母ニ孝ニーー常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵( したが) ヒ」の全てが、「 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に繋( かか)るとほぼ正確に教えられ、それを信じつつ。
                           ( 成澤 榮壽)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年6月号(No.900)

     共謀罪法は、 国民の言論・表現の自由を犯す

 安倍政権は過去3回廃案となった「 共謀罪」法を、「 テロ等準備罪」法と名称を変えて成立を狙っているが、その背景は何か。
 一つは、政府の戦争政策推進に異を唱える国民の言論・ 表現活動を抑圧できる法体制を分厚く準備しておきたいのではないか。
 戦前、治安維持法が審議された帝国議会での議論と対比すれば、今回の「 共謀罪」法の危険性が透けて見える。安倍政権は「 共謀罪」法が「 一般の国民にとって、関係のない法律」と答弁している。一方、治安維持法を審議した帝国議会では、一般人が取り締まりの対象になるとの懸念に対し、若槻礼次郎国務大臣が、「 世間には、この法律が労働運動を禁止するがためにできるように誤解している者がいる」等と答弁していた。しかし、最初は侵略戦争に反対する共産党員らを治安維持法で逮捕・ 投獄し、その後には労働運動を始め、 民主主義、 自由主義の運動を弾圧し、 やがて、学者、文化人、宗教家、法律家まで捜査対象を広げ、国民の言論・表現の自由を奪い去ったことは歴史が証明している。
 もう一つは、安倍政権が現在衆参両院で3分の2以上の議席を持っていることにある。2013年12月の国家秘密保護法、2015年9月の戦争法( 安保関連法)は数の暴力とも言うべき手段で強行成立させた。従って、「 共謀罪」法を成立させるには、この時期を除いてないと考えているのではないか。
 安倍政権は、「 共謀罪」法の取り締まりにあたって、普通の団体でも「 活動が一変すれば、適用される」と答弁している。しかし「 一変した」と判断するのは時の政権であり、捜査当局の判断にかかっていることは、治安維持法が示している。部落問題研究所もその判断対象にされる危険性を誰も否定できない。
 今こそ、治安維持法が猛威を振るい、侵略戦争に引き込まれていった歴史の教訓に学び、「 共謀罪」法の成立をなんとしても阻止しなければならないと思うのは私だけではない。
                          ( 二〇一七年四月五日 記 佐藤佳久)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年5月号(No.899)

     憲法施行七〇周年に当たって  施政憲加速化へ、施政方針演説は違憲

  第一九三通常国会が一月二〇日に召集された。とくに首相は、演説の末尾で、改憲意欲をむき出し改憲加速化を促しているのは気になる。「憲法施行七〇年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる七〇年に向かって、日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか。これは、国民の負託を受け、この議場にいる、全ての国会議員の責任であります。」
 日本をどのような国にしていくのか、についていえば、憲法自体が、平和で人権の花咲く国づくりを規定しているのではないか。安保法制などによる『 戦争のできる国』づくりは、違憲の政治 ・立法にほかならず、憲法をいかすものではなく、逆に蹂躙するものである。憲法を実現していくためには、これらの障害を除去することこそ求められる。ここにこそ、まさに立法府の国会議員の責任がある。
 首相が、改憲案を「 国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めよ」、と改憲加速化を呼びかけること自体、憲法上妥当なものなのか。
 第一に、憲法改正の発議機関は、国会であって、内閣ではない( 憲法九六条)。改憲加速化の呼びかけ行為自体、三権分立を侵す行為であって、許されない。( 一月二二日の日曜討論で自民党幹事長は、これに呼応して「 状況を見て今国会でも」改憲発議あり得る、と発言。二〇一七年自民党運動方針案も改憲発議具体化を明記。)
 第二に、二〇一三年自民党改憲案は、九条二項を削除し、国防軍の創設・「 公益及び公の秩序」による無制限の人権制限などを内容としている。違憲で現憲法に敵対的な異質の原理で成り立つ自民党改憲案で、本当に日本の明るい未来は築けるのだろうか。
                      ( 渡辺 久丸)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年4月号(No.898)

     大問題 大阪の「 中学生チャレンジテスト」

 いま、大阪で「 チャレンジテスト」が大きな問題を広げている。チャレンジテストとは、府がおこなう独自テストのことである。
 高校入試の合否は、当日の試験の成績と内申点で決まる。内申点は、教師が定期テストの成績や日頃の学習へのとりくみを評価してつけるものであり、大阪でもそうされてきた。ところが府教委は、チャレンジテストの結果を内申点にせよとして押しつけてきた。つまり、日ごろ定期テストもまじめに受けず、提出物も一切出さず、授業中の態度も悪い子どもであったとしても、このチャレンジテストの成績さえよければ、高い内申点がつけられる。逆に、日ごろいくら頑張っていても、チャレンジテストの成績が悪ければ、低い内申点しかつかない。
 これが一・二年生は個人の成績として内申に反映される。三年生は学校の平均点が府の平均より高いか低いかによって、その学校の内申点の範囲が決められる。つまり、チャレンジテストの結果が府の平均より高い学校は、四とか五の高い内申点をつけられる子が増え、低い学校は、一とか二の低い内申点しかつけられないというものである。これにより、高校入試がまったく不公平なものになり、中学校の教育がチャレンジテストによって振り回され、子どもたちの人間関係にもひびが入るという、重大な問題が引き起こされている。
 これに対し、大阪府公立中学校校長会も府に対する要望書で「 高校入学者選抜方法について、調査書に記載する評定については各中学校にゆだねられたい」と述べているほど、現場に矛盾を広げている。また、千早赤阪村議会は、二〇一六年末に「 中学校『 チャレンジテスト』廃止・撤回を求める意見書」を全会一致で採択した。
 チャレンジテストの背景には、安倍「 教育再生」・大阪維新「 教育改革」による競争と格差づくりの教育政策がある。政治の力で教育を歪めてはならない。
                                         (山口 隆)


『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年3月号(No.897)

     部落差別解消推進法の成立にあたって

 2016年12月9日、参議院本会議において「 部落差別の解消の推進に関する法律」( 部落差別解消推進法)が自民、公明、民進などの賛成により可決、成立した。この法律について部落問題研究所は、5月29日に開いた2016年定時総会において、創立60周年記念事業の『 部落問題解決過程の研究』の成果に照らしてみても、不可逆的に進行してきている部落問題の解決に逆行するものであると、研究所総会としては異例の「 法案」に「 反対する決議」を採択したところであった。
この法律は、「 部落差別」の「 解消」といいつつ、「 部落差別」とは何なのかの定義がなく( 第1条)、その上に国及び地方公共団体に「 部落差別の解消」に関する「 施策実施」を責務として課している( 第3条)。
加えて、「 部落差別の解消の施策に資するため」、「 部落差別の実態に係る調査を行う」とする( 第6条)。
周知のように、同和対策事業に関する特別措置法は2002年3月31日をもって期限を終了し、同法の「 対象地区」( 同和地区)も、法的に消滅している。1950年代後半以降の、高度経済成長の下での大規模な人口移動によって混住の進行は著しく1993年実施の総務庁( 当時)「 同和地区実態把握等調査」によってみても、全国の同和地区に居住する人口中58.7%が「 同和関係以外人口」、つまり、もともと「 部落」の人でない人が3分の2の多数になっているのである。このような実態の下で、どこで、誰を対象にして、どのように調査を実施するというのであろうか。
全国人権連( 全国地域人権運動総連合)などの取組み、日本共産党議員団の活動によって、参議院で参考人招致が行われるなど問題点はより明らかとなってきた。私たちは、法律の廃止も視野に入れ、法律の運用にあたって、とりわけ、問題が起こり混乱の発生が懸念される地方公共団体( 地方自治体)の動向を注視し、部落問題研究所としてのすべき役割を果さなければならないと考えるものである。
                                         (奥山 峰夫)



『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年2月号(No.895)

    『 明治の日』・『 明治一五〇年』
    ――国民教化政策について――
 昨年、二〇一六年一〇月七日、内閣官房に「 明治一五〇年」関連施策推進室を設置したと発表し、菅官房長官は「 明治の精神に学ぶ、日本の強みを再認識することはきわめて重要だ」、と説明した。( 朝日一〇・八)。記念式典などの検討を開始した。また、一一月一日、明治の日推進協議会は国会内で集会を開き、一一月三日を「 明治の日」にせよという請願署名約六三万八千筆を自民党の古屋選対委員長に手渡した( 朝日一一・二)。かつて明治節であった「 この日は日本国が近代化するにあたり、わが民族が示した力強い歩みを後世に伝え、明治天皇と一体となり国づくりを進めた、明治の時代を追憶するための祝日です。したがって、もともとは現行の『 文化の日』などという曖昧な祝日ではありません」( 請願趣旨、推進協HP)という。「 文化の日」を廃止して「 明治の日」とせよという主張である。
 天皇誕生日を天長節、国民の祝日としたのは明治天皇誕生日を太陽暦で一一月三日とした明治時代にはじまる。この日を明治節としたのは、一九二七年三月である。この一九二七年二月には昭和天皇即位後初めての建国祭があった。宮庁の休日でしかなかった紀元節を「 愛国的の国民的総動員」の「 家庭的祝日」とした三回目の建国祭であった。前年の第二回は大正天皇の諒闇( りょうあん)中のため代表者による明治神宮参拝にとどめたので、この一九二七年から年中行事の全国民的祝祭日として定着することになる。
 明治節は、新年・紀元節・天長節とともに四大節として重視された国民祝祭日であったが、それは一五年戦争の時代に国民を戦争に動員する天皇制イデオロギー装置でもあった。
 明治憲法による国家が「 無比の教化国家」( 藤田省三『 天皇制国家の支配原理』)であったことは多くの研究者が指摘してきたところである。一九六八年の「 明治百年」式典に対して歴史研究者らが、「 紀元二六〇〇年祝賀式典」( 一九四〇)とかさねて、国民の思想統制、思想動員の場にすることを批判し、警告を発した経験に学びながら、私たちは今、抵抗の思想を組織し対置しなければならない。                                       (  尾川 昌法)

『人権と部落問題』 巻頭言集

2017年1月号(No.894)

   「 部落差別解消推進法」制定策動と
                『 部落問題解決過程の研究』
 昨年七月号「 巻頭言」の続き。「 特集」があるので「 法」( 案)の問題点には言及しない。自民党主導で提出された「 部落差別解消推進法」案は一一月一七日の衆議院本会議において日本共産党を除く賛成多数で可決され、参議院へ送られ、法務委員会では一二月六日に参考人意見陳述を、八日に自・民・共三党の質疑と討論を行い、採決が強行され賛成多数で可決した。
 政府・与党は一一月三〇日までの会期を一二月一四日まで延長を強行した。TPP承認案( 九日に自然成立)・関連法案や国民年金「 改革」( 改悪)法案などを反立法主義丸出しの問答無用とも言うべき強引さで突破していく構えだ。「 推進法」制定策動もその一つである。
 昨秋に完結した部落問題研究所編・刊『 部落問題解決過程の研究』全五巻は、日本国民が部落問題を基本的に解決したと言い得る段階にまで到達させてきた事実を、学問的・実証的にあきらかにした。しかし、この事実を見誤り、または故意に見まいとする虚構の「 部落」差別に主として基づく策動が「 部落解放同盟」を中心に行われてきた。
 「 解同」は一九八〇年代から、屡々、中央委員長らが自民党や財界の実力者に擦り寄り、「 昵懇」になった。今回の「 推進法」制定策動も、その間に紆余曲折はあったにせよ、同一路線上で浮上したと見て間違いなかろう。自民党の方には過去の革新分断と同様、市民と野党の共闘に楔くさび〉を打ち込む手段に「 推進法」が使えるとの魂胆があるだろう。
 確かに「 部落」差別を弄する時代遅れの輩は少しはいる。麻生太郎氏が自民党の有力者に行ったのはその代表的な例だ。「 解同」は抗議しなかった。自民党は閣僚の「 土人」発言も放任した。自民党に「 推進法」を制定させる資格はない。自らの内を糾すべきだ。
 「 推進法」制定策動は、多年にわたる「 部落」差別克服に努力してきた国民を馬鹿にした代物である。「 解放運動をなくするために運動するのだ」と言い続けた故松本治一郎は「 推進法」を否とするだろう。『 部落問題解決過程の研究』は、「 推進法」制定策動を含む歴史の発展に諍〈 あらが〉うものへの厳しい批判の書でもある。歴史への背離との闘いの基礎となる「 武器」にしたい。                  ( 成澤 榮壽)