第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2016年2月号より)
●全体集会 ―― 戦争体験をいかにけいしょうするか―「戦後七〇年」の地平に立って
報告:吉田 裕(一橋大学)
戦後七〇年となる二〇一五年、安倍政権のもとで戦後の国家形態は大きく転換せしめられた。改憲のステップとして、九条の実質的形骸化を一挙に進める政権の手法は、立憲主義という近代国家の原則さえも無視した点で、まさに歴史的な暴挙であった。戦後国家がどのように転換しつつあるかについては、世界史的な動向もふまえて精密な分析が必要であるが、そうした転換をもたらす一つの重要な背景に、国民の戦争認識の変化があることは言うまでもない。その意味で、吉田報告「戦争体験をいかに継承するか」は、直面する課題を真正面から論じた報告であった。報告の概要は以下のとおりである。
まず取り上げられたのは、歴史認識をめぐる諸問題である。安倍首相談話については、当初のもくろみは成功しなかったものの、次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせない、という「謝罪」の打ち切り宣言が右派から高く評価されたことを指摘。安保関連法案に対する反対運動が広がったものの、「戦争体験に裏打ちされた平和主義」とかみあわない印象があり、また、国民の歴史意識にもある種の陰りが見え始めているという。具体的には、戦争体験世代が大幅に減少する中で、侵略戦争と自衛戦争の両方の面がある、という認識や、これ以上の反省や謝罪は不要とする意識も広がっていることがあげられた。
次に、戦争体験の性格についての議論に進む。もともと、戦争体験は、風化・忘却するのが常態ではないのか、という問いに始まり、それに抵抗するものとして、戦争体験の記録化や議論が立ち現れることに注目する。また、戦争体験者自身が、自らの体験をより広い歴史的文脈に位置づけ直すために「学習」する側面も重視すべきであるとし、戦争体験には、断絶と継承の両側面があるが、ことに福間良明が重視した60年代末の断絶の意味を掘り下げる必要を強調した。
今後の課題として吉田報告が提示したのは次の四点である。第一に、六〇年代、あるいは70年代後半に戦争体験の断絶があると指摘されているが、その中にこそ、忘却されている可能性が見出されるのではないか。第ニに、戦争日本の精神変革を支える原点として存在してきた「戦争体験」は、日本の大衆が自主的に戦後に創り出したものであるという赤澤史朗の議論を参照すれば、「戦争体験」の再検討が重要な課題となっている。これと関わって、第三に、戦争体験論と戦争責任論を「交錯」(神小島健)させることによって、あらためて戦争体験論を丁寧に総括すべき時期に来ている。第四に、近年注目をあつめている植民地主義の問題に関わって、日本民衆の植民地体験を記録した戦争体験記が欠落していることの意味を独自に分析すべきである。
最後に、「いま」と「過去」を結びつける複数の回路、すなわち「民族」、「人民」、「国民」概念を媒介とするのではない回路を設定できないか、という重要な問題提起で報告は締めくくられた。
吉田報告に関する人見佐知子コメントは、戦争体験を聞き取るという行為の意味を、自身の体験をふまえながら考察したものであった。聞き取る側がその問題意識や観点を一方向的に押しつけるのではなく、相互の「交渉」を通じて彼我の関係が再編成されていくようなものとして、聞き取りを考えるべきだという主張を軸に、いくつかの重要な議論が提示された。体験とは、受動的なものではなく、事件や事実と自身の関係を確定するものとして主体的に構成されるものであること、自己と対象(体験者)との距離を知り、他者として分かちもつこと(分有)が必要である、といった論点がそれである。最後に空襲・戦災を記録する会全国連絡会第四四回神戸大会の報告の事例から、被害性を徹底的に突き詰めることで発見される加害性についても言及した。
平井美津子コメントは、「原爆孤児」の聞き取りを通して、体験を聞き、継承することの意味を論じたものであった。人見報告と共通する部分を除けば、次の点が重要である。孤児たちがいつ、どのようにして語り始めたかを分析すると、戦争体験とは、戦争体験者が戦後を聞き、語る(語れる)場所(時空間)にたどりつくまでを包摂したものとしてとらえるべきである。また、語る人間が聞く人間の内面に何らかの作用を引き起こし、それによって聞く人間が自らの言葉で記憶し、記録し、語るという主体的営為の集積が、体験の継承となる。
両コメントは、吉田報告の提示した「いま」と「過去」を結びつける複数の回路という課題に、それぞれの立場から応えるものであった。全体会報告とコメントを総合すると、戦争体験そのものの意味を問い直す作業とともに、戦争体験の継承・伝達の回路や手法についても、議論すべき課題が明確になったと思われる。
(小林啓治/京都府立大学)
|