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第53回部落問題研究者全国集会 報告

 2015年10月31日・11月1日 於:同志社女子大学今出川キャンパス

 10月31日(土)―11月1日(日)、第53回部落問題研究者全国集会を同志社女子大学で開催しました。参加者総数86人(運営委員・を含む全参加者は133人)、昨年は総数72人(職員含む全参加者は112人)でしたので、参加者はやや増加しましたが、赤字会計はなお続いています。
  なお、本年は11月にまたがる変則的な開催となりましたが、来年は通常通り10月第4週土・日開催(10月22・23日)の予定です。

全体集会 報告:戦争体験をいかにけいしょうするか―「戦後七〇年」の地平に立って
             吉田 裕(一橋大学)

1、歴史T 〈テーマ 近代身分研究の新展開〉

2、歴史U 〈テーマ 戦時・戦後の地域における政治構造と社会運動〉

3、現状分析・理論 〈テーマ 同和行政終結と地域の人権問題を考える〉

4、教育 〈テーマ 道徳の「特別教科」化の検討〉

5、思想文化 〈テーマ 戦争の実相を再認識する〉

  ●参加者寄稿

第53回部落問題研究者全国集会に参加して    末永弘之(岡山)

現状分析・理論〈同和行政終結と地域の人権課題を考える〉分科会の報告  村上 保(兵庫)

歴史U〈戦時・戦後の地域における政治構造と社会変動〉分科会報告  杉本弘幸(京都)


※報告と討議内容の詳細は紀要『部落問題研究』217号に掲載されます。

第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2016年2月号より)

全体集会 ―― 戦争体験をいかにけいしょうするか―「戦後七〇年」の地平に立って
                  報告:吉田 裕(一橋大学)

 戦後七〇年となる二〇一五年、安倍政権のもとで戦後の国家形態は大きく転換せしめられた。改憲のステップとして、九条の実質的形骸化を一挙に進める政権の手法は、立憲主義という近代国家の原則さえも無視した点で、まさに歴史的な暴挙であった。戦後国家がどのように転換しつつあるかについては、世界史的な動向もふまえて精密な分析が必要であるが、そうした転換をもたらす一つの重要な背景に、国民の戦争認識の変化があることは言うまでもない。その意味で、吉田報告「戦争体験をいかに継承するか」は、直面する課題を真正面から論じた報告であった。報告の概要は以下のとおりである。
 まず取り上げられたのは、歴史認識をめぐる諸問題である。安倍首相談話については、当初のもくろみは成功しなかったものの、次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせない、という「謝罪」の打ち切り宣言が右派から高く評価されたことを指摘。安保関連法案に対する反対運動が広がったものの、「戦争体験に裏打ちされた平和主義」とかみあわない印象があり、また、国民の歴史意識にもある種の陰りが見え始めているという。具体的には、戦争体験世代が大幅に減少する中で、侵略戦争と自衛戦争の両方の面がある、という認識や、これ以上の反省や謝罪は不要とする意識も広がっていることがあげられた。
 次に、戦争体験の性格についての議論に進む。もともと、戦争体験は、風化・忘却するのが常態ではないのか、という問いに始まり、それに抵抗するものとして、戦争体験の記録化や議論が立ち現れることに注目する。また、戦争体験者自身が、自らの体験をより広い歴史的文脈に位置づけ直すために「学習」する側面も重視すべきであるとし、戦争体験には、断絶と継承の両側面があるが、ことに福間良明が重視した60年代末の断絶の意味を掘り下げる必要を強調した。
 今後の課題として吉田報告が提示したのは次の四点である。第一に、六〇年代、あるいは70年代後半に戦争体験の断絶があると指摘されているが、その中にこそ、忘却されている可能性が見出されるのではないか。第ニに、戦争日本の精神変革を支える原点として存在してきた「戦争体験」は、日本の大衆が自主的に戦後に創り出したものであるという赤澤史朗の議論を参照すれば、「戦争体験」の再検討が重要な課題となっている。これと関わって、第三に、戦争体験論と戦争責任論を「交錯」(神小島健)させることによって、あらためて戦争体験論を丁寧に総括すべき時期に来ている。第四に、近年注目をあつめている植民地主義の問題に関わって、日本民衆の植民地体験を記録した戦争体験記が欠落していることの意味を独自に分析すべきである。
 最後に、「いま」と「過去」を結びつける複数の回路、すなわち「民族」、「人民」、「国民」概念を媒介とするのではない回路を設定できないか、という重要な問題提起で報告は締めくくられた。

 吉田報告に関する人見佐知子コメントは、戦争体験を聞き取るという行為の意味を、自身の体験をふまえながら考察したものであった。聞き取る側がその問題意識や観点を一方向的に押しつけるのではなく、相互の「交渉」を通じて彼我の関係が再編成されていくようなものとして、聞き取りを考えるべきだという主張を軸に、いくつかの重要な議論が提示された。体験とは、受動的なものではなく、事件や事実と自身の関係を確定するものとして主体的に構成されるものであること、自己と対象(体験者)との距離を知り、他者として分かちもつこと(分有)が必要である、といった論点がそれである。最後に空襲・戦災を記録する会全国連絡会第四四回神戸大会の報告の事例から、被害性を徹底的に突き詰めることで発見される加害性についても言及した。
 平井美津子コメントは、「原爆孤児」の聞き取りを通して、体験を聞き、継承することの意味を論じたものであった。人見報告と共通する部分を除けば、次の点が重要である。孤児たちがいつ、どのようにして語り始めたかを分析すると、戦争体験とは、戦争体験者が戦後を聞き、語る(語れる)場所(時空間)にたどりつくまでを包摂したものとしてとらえるべきである。また、語る人間が聞く人間の内面に何らかの作用を引き起こし、それによって聞く人間が自らの言葉で記憶し、記録し、語るという主体的営為の集積が、体験の継承となる。
 両コメントは、吉田報告の提示した「いま」と「過去」を結びつける複数の回路という課題に、それぞれの立場から応えるものであった。全体会報告とコメントを総合すると、戦争体験そのものの意味を問い直す作業とともに、戦争体験の継承・伝達の回路や手法についても、議論すべき課題が明確になったと思われる。
       (小林啓治/京都府立大学)


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第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 1 : 歴史 T 〈テーマ 近代身分研究の新展開〉



 今年度の「歴史T」分科会では、「近世身分研究の新展開」をテーマとして、高垣亜矢氏「一八世紀末における皮革流通構造の変容と皮商人―津山藩を事例に―」、吉田ゆり子氏「京都の非人―「坂」から「悲田院村」へ―」の二つの報告が行われた。
 高垣氏は、皮商人の視点から一八世紀末の津山藩を事例に、皮革の流通構造の変化を明らかにすることを課題とされた。 (1)では、天明四年の、江戸細工頭支配の切付師、槙田惣左衛門による幕府への革改会所設置願いおよび、それに対する渡辺村・高木村の回答を分析された。槙田は、上質皮の不足で御用を務められないので三都に会所を設置し、そこへ皮を集荷し改印をする。上質なものは御用に使い、それ以外を売り渡す。改印料を取り、冥加金および会所の経費に充てる。在町にも会所を設置し、幕府には改印無きものを売買しないよう触れ流しを願う。これに対する渡辺村・高木村の回答から、高木村が鞣革を訪れる商人に売り捌いていたこと、雪駄、細工物の需要の伸びにより、諸国で直買いするものが増え、大坂等への皮の入荷量が減少したことなどを明らかにされた。
 (2)では、寛政前後における牛馬皮の流通構造と津山藩のかわたの活動について検討された。大坂町奉行所からの、牛馬皮廻着量減少についての問合せに対する津山藩のかわたの回答を中心に分析された。その活動を集荷範囲により、「有合皮類売渡」の者、「村々買集売渡」の者、郡単位など大規模に集荷する者の三つに分類された。次に取引相手による分類として、「播州筋同類之者」と渡辺村をあげられた。前者の村々については、滑皮を生産する村、滑皮を生産する村に牛馬皮を売り渡していた村、滑皮を生産する村やその近村に滑皮を売り渡していた村の三つに分類された。渡辺村との取引については、皮問屋が行う場合と皮問屋の手代が行う場合があるとされた。「有合皮類売渡」の者は、播州の者と取引を行う傾向にあるが、しだいに渡辺村手代もこの層からの買い入れを行うようになると指摘された。
 (3)では、寛政期以後の津山藩のかわたと播磨の中ノ庄村との取引関係を検討された。鞣革生産を行う中ノ庄村と活発な取引が行われていたことを明らかにされた。また、高木村が藩の専売制に組み込まれたことから、中ノ庄村が渡辺村の賃晒を引き受けるようになったこと、さらに渡辺村以外の近国の鞣革の需要にも応じていたのではないかと述べられた。
 吉田ゆり子氏の報告は、中世の「坂非人」と「坂」の近世への変化、近世京都の非人といわれる「悲田院」とはどのような存在かを明らかにすること。そして、京都の非人を通して都市で一人では生活できない人びと、流入する無縁の人びとの存在とそれらの人びとへの対応を明らかにすることを課題とされた。
 (1)では、「坂」の様相について「七条道場金光寺文書」及び大山喬平、三枝暁子両氏の研究を検討され、赤築地と荼毘所の存在について、その性格および所有者の変遷をたどられた。続いて、天文一七年から天正一七年の様相について、『清水寺参詣曼荼羅』『八坂法観寺塔参詣曼荼羅』などの絵画史料、承応2年の『新改洛陽并洛外之図』、万治元年の『新板平安城東西南北町并洛外之図』などの地図、および寛文5年の『京雀』などの地誌から、犬神人、坂非人の存在、赤築地、「さか」「ひや」(荼毘所)、悲田院の記載の有無や位置の変遷などを確認された。
 (2)では悲田院の成立と構成および非人小屋の存在の仕方について検討された。非人小屋については、@大仏境内の非人小屋、A不動堂非人、B七条松明殿裏小屋頭(下京南京極町高瀬西廻りの非人小屋)について検討された。そのうえで、次のようにまとめられた。悲田院村は承応3年に公認され、同年、悲田院に洛中洛外の非人小屋支配が命じられた。寺社境内の非人小屋は、寺社が番人として、また穢れ除去のために支配したこと。河原や道等の非人もいずれは悲田院下に入ると考えられると述べられた。
 (3)では悲田院の「役目」として、捕者、捕者の預かり、行き倒れ人の処理、野非人の統制などをあげられた。
 (4)では、非人支配をめぐる中近世の移行についてまとめられた。近世初期には、非人を一元的に支配するものが存在せず、寺社がそれぞれに支配を行ったが、承応3年以来、幕府は悲田院に支配をさせ、「役」を担わせた。しかしその支配は急速には浸透せず、寺社に支配される非人も併存した。そして、「坂」には祇園社の祭りの警護としてキヨメの役目が残ったと述べられた。
 高垣報告についての討論は、切付師槙田の出願について、出された背景、その真意や顛末について質疑が行われた。また、渡辺村問屋の活動について、手代の活動の評価、およびその性格について意見交換が行われた。最後に、皮商人の視点から考えることの持つ意味が問われ、また技術の変化を踏まえて流通の変化を見る必要があるのではとの意見も出された。
 吉田報告については、「坂」が葬送とどのようにかかわったか、非人の存在形態について、悲田院による非人支配の特性について、非人のネットワーク、非人集団の拠点の変化などについて活発な議論が行われた。さらに三都の非人の存在形態の特徴を踏まえた議論も有効ではないか、との意見も出された。両報告とも従来の研究の見直しを迫る意欲的な報告であった。  (兵庫県立三田祥雲館高等学校教諭 勝男義行)


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第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 2 : 歴史 U〈テーマ 戦時・戦後の地域における政治構造と社会運動〉

 本年度の分科会・歴史Uは、<戦時・戦後の地域における政治構造と社会運動>というテーマのもとに、富山仁貴氏「高度成長前半期における地域社会運動と教育―京都府単語地域のちりめん闘争と「丹後の教育」―」、中村元氏「翼賛選挙期大都市近郊における地域政治構造の変容―東京府八王子市を事例に―」の二報告が設定された。
 富山報告は、近年の分科会で積極的に議論されてきた戦後の社会運動に関する報告であり、丹後地域における社会運動のありよう、産業構造の推移、そして教育実践の様相にまで分析の射程を伸ばした意欲的なものであった。なかでも私が注目したのが、教員組合運動や教育実践の位置づけである。報告では、勤務評定導入反対闘争(勤評闘争)を経て組織強化された教員組合にとって、一九六一年に発生した機業労働者による大規模なストライキ(「ちりめん闘争」)が、「丹後の教育」とよばれる地域教育実践の出発点となったことが、当事者の回想や、「ちりめん闘争」を含む丹後地域の社会運動・労働問題の検討を踏まえて論じられた。
 ただし、討論で質問が出されたように、「ちりめん闘争」以前の教育実践との差異が何なのか、報告を聞く限りではよく分からなかった。この点については、一九五〇〜六〇年代における丹後地域の産業構造・人口動態・就業別人口割合の推移を踏まえつつ、日常的な教育実践のレベルにまで踏み込んで分析する必要があるように感じた。他にもいくつか気になる点があったが、こうした「余地」は、裏返して考えれば、地域における社会運動を教育・産業・労働の側面から総体的に解明しようとする報告者の意欲の表れともいえる。今後のさらなる成果が期待できるし、私自身も一層精進せねばならないと気を引き締めさせられた次第である。
 中村報告は、翼賛選挙期の東京府八王子市における地域政治構造の変容過程を考察しようとするものであった。同氏はこれまでにも、八王子市を事例として、一九三〇年代以降の都市政治社会史に関する成果を精力的に発表してきた。今回の報告では、都市史研究だけでなく、かつて山之内靖氏や雨宮昭一氏らが提起した総力戦体制論に対しても提言を試みている。
 報告では、当該期の八王子市においては、一九三〇年代〜新体制運動期の新旧政治勢力の対抗を経て「旧勢力」が議会を掌握するに至るが、彼ら「旧勢力」が追求したのは工場の誘致や新規産業の導入であったこと、換言すれば、外形的には「古い」地域政治構造に回帰しながらも、その内実はいわゆる近代化路線の推進であったことが明らかにされた。この作業を踏まえ、総力戦体制論の特質として考えられている社会の民主化・平等化・近代化は同時進行する訳ではなく、政治的なせめぎ合いの中で展開していくことが指摘された。また、戦時期都市史研究の課題として、当該期における都市の社会構造・政治構造の変化には幾つかのバリエーションがあり、これらの比較検討を行う必要性が提起された。新聞資料を始めとする諸資料の丁寧な読解を基礎に据えつつも、既存の研究史に対する問題提起をも行った刺激的な報告であったといえる。
 続いて行われた討論も、非常に活発なものとなった。紙数の都合もあるので詳細は省くが、富山報告に対する学テ闘争の持つ意味や教員の経歴に関する質問、あるいは中村報告に対する町会が果たした機能と役割に関する質問など、具体的な事実関係や実証の精度を問う発言がいくつか出された点が印象に残った。これは、両報告が示唆に富み、かつ拡がりを持つものであったことの副作用と理解すべきだろう。
 最後に、討論の時間配分に関わって一言しておきたい。私自身の無発言を棚上げしていえば、討論時間の大部分が個別の質疑応答に割かれ、総合討論の時間がほとんどなかった点は非常に残念であった。両報告は、研究対象や方法こそ大きく異なるものの、いずれも個別研究の枠に止まらないパースペクティブを持つものであった。それだけに、総合討論を通じて、日本近現代史全体に対する論点を生み出せる可能性があった気がしてならなかったからである(その論点とはいったい何かと問われると、うまく答えられないのだが…)。この点にかかわっていえば、両報告の主題を並べただけのようにも読める分科会のテーマについても、もう少し工夫が必要だったのではないか、などと気楽な立場であるのを良いことに考えたりもした。
 少々難癖をつけてしまったが、全体としてみれば、本年度の歴史U・分科会は、非常に充実したものであったといえる。私自身、報告及び討論から多くの刺激と知見を得ることができた。報告者・司会者・参加者の方々に改めてお礼申し上げるとともに、本年度のテーマが今後ますます深められることを祈念する次第である。
(本井優太郎・島根大学法文学部山陰研究センター客員研究員)


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第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 3 : 現状分析・理論 〈テーマ 同和行政終結と地域の人権問題を考える〉

 この分科会では、「同和行政終結と地域の人権課題を考える」というテーマを掲げ、法失効13年が経過しているにもかかわらず、一部の自治体で継続されている同和行政の実態を明らかにしつつ、同和問題に限らず広く人権課題の現状を取り上げることを目的にしている。
 午前中に、村上保(兵庫人権問題研究所)「部落問題解決の障害を克服する課題と兵庫県丹有地域での同和行政終結の課題」および中島純男(NPO法人地域人権みんなの会)「地域における介護・福祉のとりくみ」、午後には三村正弘(原爆被害者相談員の会)「原爆被害者相談員の会のあゆみと被爆者の人権」の報告を受けて総合討論を行った。
 村上報告では、高校教科書の記述や自治体の部落問題認識が誤っていたりして、部落問題解決への障害になっている現状を述べられた。高校「現代社会」の教科書では、「被差別部落の問題もまだ解決されていない」や「こんにちでも職業、居住、結婚などさまざまな面で差別がみられる」といった記述になっていて、同和対策事業がすでに終結していることの記述がみられない。自治体では、兵庫県教育委員会が「人権教育基本方針」(1998年)において、「部落差別意識の払拭」を課題として挙げており、「差別意識の潜在化傾向もみられるなど、部落差別は社会になお根深く存在している」と記述している。
 同様に、兵庫県人権啓発協会が5年ごとに行っている意識調査では、解放同盟(解同)の部落排外主義によってもたらされた不公正な同和行政や異常な啓発に関する質問項目はなく、結婚問題で同和地区出身者との結婚を忌避する傾向が「若干増加(15.6%→17.0%)」していることをもって、「県民の意識には、未だに課題が残されている」と解説するなど、部落問題が意識の問題に歪曲されている。
 解同に迎合した県行政に対して、兵庫県丹有地域(丹波市・篠山市・三田市)では、八鹿高校事件(1974年)前から40年間にわたり「丹有研究集会」が実施されており、不公正な同和行政を批判し、正しい解決の道筋を提起してきたところである。2010年には「人権(同和)行政の実態調査」がなされ、県内29自治体(69%)が回答をよせた。それによれば調査時点で、市川町や淡路市などが解同への補助金を支出しており、人権・同和教育研究協議会への補助金でも、篠山市が880万円、丹波市が1428万円を支出していた。部落問題解決に逆行する「人権条例」制定の動きは、篠山市では広範な市民の反対を無視して市長が制定を強行したが、三田市では人権連が中心になって制定を阻止した動きもある。丹有地域全体では、未だに同和地区を指定し解放学級を実施している三田市や篠山市、「人権に関する市民意識調査」を2012年に実施した丹波市などの事例があり、法失効によって喪失した「同和地区」を復活させたり、解同に多額の補助金が支出されている実態が、一部の自治体に残存している。
 中島報告では、2006年7月に開設された小規模多機能型居宅介護事業所「みんなの家ななくさ」(岡山市)を中心とした地域介護・福祉の取り組みが紹介された。国が進める福祉の民間委託は、国の公的責任の放棄であるが、反面、地方への財政権限の付与もあって、福祉の経営主体を政府から地域コミュニティへと変えるチャンスにもなっている。部落解放運動の地域人権課題への取り組みを発展させるべく、2000年に岡山市三門地区に地域住民運動の拠点として「みんなの会館」が設置され、積極的な相談活動の展開を経て翌2001年にはNPO法人「地域人権みんなの会」が結成された。法人の事業としては、保健・医療・福祉の増進、人権・平和の擁護、まちづくりの推進を図る活動が掲げられ、障害者・ハンセン氏病・いじめ・認知症などの広範な福祉課題に関する地域学習会開催を並行させて、2006年「みんなの家ななくさ」の開設にたどり着いた。以来、外部評価でも、「利用者本位の目線に立ってサービス提供している」「この地域の福祉の拠点となっている」など高い評価を得ている。
 2010年には「みんなの家かるがも」、2013年には「みんなの家だんだん」が開設され、3施設計で744人の年間利用者数(2014年度)である。2015年3月時点での利用者のうち、73%が一人住まいで、そのうち半数以上が認知症症状を呈しているので、一人住まいの認知症は33%にのぼり、24時間の見守りが必要になっている、というのが現状である。報告では詳細な事例紹介があったが、なかには家族との折り合いも悪く介護に欠ける事例、公営住宅に居住していた一人住まいの80歳を超える女性にホーム直近のアパートに転居してもらって、24時間見守りにつとめているなど、地域福祉の切迫した現状が垣間見られた。
 午後の三村報告は、長年、広島生協病院のソーシャルワーカーとして被爆者救済に尽力してきた当事者から見た被爆者の人権問題報告である。1981年に発足した「原爆被害者相談員の会」は、被爆者の「いのち・くらし・こころ」に及ぶ深刻な実態を、「生活史把握(石田忠一橋大学教授)」の方法で記録して、日常相談援助業務に生かしていくことを目的にしていた。というのも、当時、厚生大臣の私的諮問機関である「原爆被爆者対策基本問題懇談会(座長茅誠司)」の意見書(1980年)が述べる受忍論(国家補償の否定)は、被爆者や国民の願いを裏切るものであったからである。
 報告では、原爆が人体に与えた未曾有の影響を、1957年の原爆医療法制定までの12年間放置してきたり、海外からの医療品提供や医療支援を拒絶し続けてきたこと、1974年に出された402号通達による在外被爆者の受給権剥奪(日本を出国したら手当受給権は失権するというもの)が、2003年の同通達破棄まで継続されていたこと、原爆症の認定に際して、初期放射線被害に限定して、残留放射線や内部被曝などの認定に及び腰であった日本政府の責任などが紹介された。「生活史把握」の方法に準拠した自分史『生きる』は、現在第5集を計画するまでに成長し、第4集までで証言執筆者46名にのぼっている。
 編集に参加する若い世代のソーシャルワーカーも約30名を数え、チェルノブイリ被爆者との交流会や福島原発事故被災者への調査活動などにも参加している。原爆被害者相談員の会の活動は、権利擁護の立場にあるソーシャルワーカーの視点にも通底するし、生活史把握は、原爆症認定申請や陳述書作成の際に、被爆者への援助方法としても生かせるというのが、参加理由であるようだ。
 総合討論では、同和行政を終結させるための各地の取り組みが紹介された。大阪では解同による新任教員研修会をやめさせたり、5年前の府民意識調査では半分が同和問題の質問であったという異常な事態は大きく改善されたが、本来、行政がなすべきではない意識調査が根絶されていない。三田市の人権条例では、市長は消極的であったにもかかわらず人権推進局が推進しようとして、広範な市民の反対に遭い取りやめになったという経緯であったこと、また市主催の人権ミーティングが市民参加皆無で大失敗に終わったことなどが紹介された。
 岡山市の「みんなの会」は、小規模多機能型の特性を生かした補助金加算もあって、借入金はあるものの順調に成長している姿が印象的であった。利用者も旧同和地区に限らず学区全般にわたり認知度も高い。入居者の困難性や多様性が拡大しているので、組織体制のあり方を検討中であるとのことであった。被爆者の生活実態については、「京都被爆2世・3世の会」から、京都府下で約1100名が手帳所有者であるが、生活史の点では未婚者や離婚者の割合が相対的に多いこと、健康不安を抱える者が多いこと、広島被爆者の2世・3世は健康であるという政府の宣伝のなかで福島被災者は呻吟している状況であることなどが紹介された。
 この分科会は、昨年あたりから同和問題に限定しないさまざまな人権問題に取り組むようになってきている。その成果が直実に現れてきているであろう。

  (河野健夫/同志社女子大学)
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第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 4 : 教育 〈テーマ 道徳の「特別教科」化の検討〉


 11月1日に開催された第53回部落問題研究者全国集会教育分科会は「道徳の『特別教科』化の検討」がテーマであった。中央教育審議会『答申』(2014年10月)は現行の「道徳の時間」を「特別の教科 道徳」に位置づける提言を行い、2018年度から実施される。一方、1999年の人権教育推進審議会『答申』は、国民相互間における差別意識の解消、人権意識の高揚を目標とした人権教育の推進を提言した。運営委員の梅田修氏は、この審議過程で「人権尊重の意識にかかわって人権教育と道徳教育の関連について何度となく議論されてきた経過もあり、今後人権教育が道徳教育に吸収されていく可能性があるのではないか。こうした経緯から「道徳の『特別教科』化の検討」を行いたい」とこの分科会の趣旨を述べて始まった。
 碓井敏正氏(京都橘大学名誉教授)は、「道徳教育の教化科と対抗戦略」をテーマにして、以下の5項目(T.はじめに U.学校教育と道徳教育の可能性 V.戦後の道徳教育と近年の情勢 W.改定指導要領・道徳の特徴 X.道徳教育の対抗戦略)を柱に報告された。
 碓井氏は、報告の冒頭に「国家は道徳教育にかかわってよいのか」と問う。それは、道徳は、個人の良心・思想の問題であり、近代国家は道徳的中立性を担保してきた。また、教育目標に関しても「教育目標の良し悪し」と「国家が教育目標・方法を決める」問題は別であり、教育目標は市民社会がつくるものであるから、国家が目標を定めていくことは、国家が教育を支配していくことの危険性(戦前の教育)があると指摘する。そして、学校で「子ども自身が生き方や道徳的善悪を考える必要性」があり、たとえ国家が規定する道徳教育であったとしても、「普遍的価値を語らざるを得ない」という。
 ところで、今日の安倍政権における教育政策は「経済的側面(国際競争力の強化、成長戦略)」と「イデオロギー的側面(保守的国民統合)」の2つが特徴で、「経済的側面」が「イデオロギー的側面」より優位に位置していると指摘する。したがって、この成長戦略に適う人材育成に道徳教育が位置づけられ、これまでの「読み物道徳」から問題解決型、体験学習型の「考える道徳」「議論する道徳」へ転換しているのも特徴だという。「道徳教育の対抗戦略」で重要なのは、「『経済的人間像』と『権威的人間像』の切り分けと、矛盾を認識して利用すること」であるとし、「中・長期的戦略」と「現場での当面の対応」を報告された。
 次に、折出健二氏(人間環境大学特任教授)は「道徳の『特別教科』化 その問題点と教育実践者の立つ位置」をテーマに「T、この問題を考える前提となる要件 U、教育課程から見た場合の『特別の教科 道徳』の学問上、論理上の破綻 V、生活指導の再評価とその教育可能性 W、教育実践者の立つ位置〜子どもの学習権と価値探求主体としての発達権をまもるために〜」の4つの項目に分けて報告された。
 折出氏は今日の「特別の教科 道徳」の狙いには「市場原理の拡張に伴う社会の解体化に対して、『国』志向によるまとまり・一体化」「『自己責任』のいっそうの徹底と規範の受容・従属の矛盾」をはじめ「子どもたちの権利意識・自治意識は押さえて、規範意識・『国』意識の喚起を狙う」などがあると指摘し、公教育で道徳的価値を教えることは可能かと問う。公教育において、「価値の教育は、・・・現代の生き方を総合的にとらえ、その内実・諸側面について基礎的知識、技能、認識を育成することと一体のもの」であり、「<価値そのものを教える(習得する)>ことではなく、<価値を追究する、あるいは価値とは何かを判断する主体を育てる(に育つ)>こと」にある。したがって、「“価値そのものを教える”のではなく、“価値の意味やそのあり方、それを実践の場に生かす上での価値追究主体を育てる”ことが公教育としての根幹である」という。
 また、「特別の教科 道特」が教科であるための要件を満たしているのかと問い、「『特別教科』化の根拠付けは、きわめて杜撰で、学術的にも曖昧で、国民に納得を得られるとは思えない」と。教育実践では、「同心円的授業」(正しいとされる事柄を1つの点として思考が回っていく)ではなく、「楕円的授業」(正しさが主張されれば、それへの疑問が出されて、この2点をめぐって思考する)が「道徳化」では求められるなど教育実践の方法についても報告された。
 討論では、「道徳的実践力」「道徳的判断力」という言葉の定義がはっきりしない。目標をどのように設定するのか。戦後の日本において修身への批判は強いけれども道徳をどう考えてきたのか。人間形成における道徳をどう考えてきたのか。生活指導や生徒の自治、人権教育研究指定校の内容とかかわっての意見などがあった。
 私は報告と討論から浮かび上がる研究課題として「修身−融和教育」「道徳−同和教育」「特別の教科 道徳−人権教育」の検討や人権意識・感覚と道徳教育の関連を検討すべきではないかと感じた分科会であった。
   (川辺勉 部落問題研究所教育研究会)
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第53回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 5 : 思想・文化 〈テーマ 戦争の実相を再認識する〉



 戦後70年、日本の民主主義・平和主義に脅威となる情勢を鑑みて、思想・文化分科会は「戦争の実相を再認識する」をテーマに、文芸と映画からそれぞれ報告があった。
 ニューギニア戦線を描いた話題作から―秦重雄氏(大阪府立桜塚高校)の報告
 取り上げた作品は『南の島に雪が降る』(加藤大介・一九六一年・文芸春秋社)と『指の骨』(高橋弘希・二〇一五年・新潮社)の二作。前者は映画も二本制作(久松静児監督・一九六一年と水島総監督・一九九五年)され、舞台でも上演(前進座・二〇一五年)されている。
 まず「戦後70年でなぜ『南の島に雪が降る』なのか」と命題を立てる。飢餓線上でも演劇を作りあげる人間ドラマへの感銘、「戦場」でありながら戦闘もせず餓死してゆく兵士を通じて描く戦争の恐ろしさ・愚かしさ、遺族への慰安や兵士たちの人間的感情、こういった要素が、作者の文体や映画出演者の演技の中に読みとれ、戦争の非人間性を伝える題材として存在することを報告した。
 しかし、前進座公演パンフレット中の高畑勲氏の不安にも触れ、それが若干残っていることも言及。95年製作の映画ではその要素が負的に引用され、空しく死ぬしかなかった「英霊」の扱いをめぐる靖国派からの解釈攻撃だと分析。95年作品で描かれる演劇分隊の位置づけは納得できるが、矛盾も内包する作品であることも指摘した。
 『指の骨』は戦争未体験の作者が一人称で描いた戦争の実態であるとする。大岡昇平原作『野火』の映画化作品と対比しつつ、スーパーリアリズム手法で描いていると分析。「これは戦争なのだ」「これも戦争なのだ」とのモノローグが戦争のロマン化に対する静かなプロテストとなっており、兵士を「英霊」として描くのではなく、「虚ろな影」としての存在的希薄性を抽出したことが、靖国派へのブレーキとなっていると報告した。しかし歴史認識は避けていると評価する。
 映画人と沖縄―島田耕氏(映画監督)の報告
 映画人としての自己の歩みを振り返り、映画を通じた沖縄を報告した。「キクとイサム」「カメジロー」の一部映像を通じて、民主的映画運動とともに生きてきたことを紹介。50年代には亀井文夫監督・今井正監督のもとで助監督として映画制作に携わり、60年代には「わったぁ病院」「カメジロー」などに関わる。今井正監督「ひめゆりの塔」を始め、沖縄を描いた映画作品は多いが、70年代までは現地ロケもできない状況であったという。80年代「ひめゆりの塔」のリメイクでやっと現地ロケが出来た。最近、若い世代の大澤豊監督が「GAMA 月桃の花」を制作したが、制作費で苦労をされたことも紹介。また、版権上の問題で本作品が沖縄ではほとんど上映されず、映画を見ることができなかった沖縄の人と本土の人との会話が成り立ちにくいという新たな課題も報告された。辺野古の闘争では、三上智恵監督が「戦場ぬ止み」で執念を持って描いていることも紹介した。
 自分たちの土地を取り戻す運動は、保守・革新の垣根を越えたオール沖縄の悲願であり、その頑張りが本土や外国からの支援に繋がっているという。その歴史があるからこそ、07年の「『集団自決』教科書削減反対運動」では十万人の一大抗議運動になった。同程度の人口である滋賀県で一万人の集会を実現させることの困難さを考えたら、沖縄の十万人がいかに大きい力であるかという報告には、あらためて沖縄の熱く力強い思いを感じた。沖縄の教師が特別なことを教えているわけでもなく、家族と地域を誇る沖縄の人々の思いが「オール沖縄」を支えているとして、最後に現在制作中の「うまんちゅぬ心(くくる)」の話で報告をまとめた。
 討議では、「非日常の中の日常」を創出した『南の島に…』のもつ戦争批判精神が、多岐にわたって指摘された。戦闘もせず餓死恐怖の中で、演劇だけが兵士たちの生きる希望であり、また遺族たちへは慰安であったことが、作品の価値であることを確認。また、『指の骨』は戦争未経験世代が「戦争のファンタジー化、記号化」に抗おうとしている試みであることも報告者から補足され、戦争体験の継承というテーマに即した作品であることが理解された。特に、餓死地獄となった戦争の実相に対する一石を投じた作者の認識は評価すべきという意見も出された。さらに映画が伝えるメッセージ性は作り手の姿勢いかんであり、ダイレクトに感覚に訴える性質のものであるからこそ、戦後独立プロの参加者たちが目指した反戦平和の思いを受け継ぐことが大切だと感じられた。文芸であれ、映画・演劇であれ、作り手の歴史認識・歴史観が最重要だとして分科会はまとめられた。
                     (小原 亨/部落問題研究所文芸研究会)

 

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●参加者寄稿

第53回部落問題研究者全国集会に参加して>

   末永弘之(岡山・津山ネット議長)

 二、三年ご無沙汰していました「研究者集会」ですが、今年の四月末で市議会議員を辞して、やや、時間にゆとりが出来、加えて、分科会のテーマ「近世身分研究の新展開」の企画で、「18世紀末における皮革流通構造の変容と皮商人―津山藩を事例に―」をみまして、わが町津山藩物語、何としても参加して話を聞かなくてはの思いで参加しました。
 事前に津山博物館に行きまして、津山藩日記など「古文書」と今日の言葉に訳した文章を見せてもらい、若干の説明を受けました。その中で、今、私が住んでいます、日上地域のことも多く書かれてありましてますます興味を持っての参加でした。
 一日目の「戦争体験をいかに継承するか―「戦後七〇年」の地平に立って」の報告と、コメントの二つの報告、いずれもが、安倍内閣の手による「安全保障法」(戦争法)の強行採決、その後の、原発再稼働・TPP問題、そして、沖縄県民への挑戦などなど、いずれもが、民主主義の根幹を壊してしまう暴挙・・・こんな時期だからこその報告で大変勉強になりました。
 二日目の分科会は、さすがに我が村、私が生まれて育ち、今生活をしている地域の18世紀の出来事ですから人ごとではなく興味津々と報告を聴きました。
 私は、専門家でも学者でもありません、きわめて「みいちゃん、はぁーちゃん」です。一つ一つの出来事、書かれている文書を「その時の時代の背景・継続の流れ」などと照らし合わせての分析、移り変わり、価値観などは理解できませんが、もの心ついた頃に、当時の古老から「日上にもト殺場が○○方向にあった」(当時から、その面影は全くゼロでした)、と聞いて育ちましたから、そうかな?との思いもしていましたが、高垣先生の調査と報告を聞いて納得でした。
 私たちの何代か前の「祖先」とでもいうのでしょうか、「皮」を扱うような暮らしをしていました。日上では、どちらかというと「個人個人の生産」で、「大阪・播州方面から買いに来た人達に売る」という個人流通の取引だったのかなと思わされました。
 隣の、現在、鏡野町の円宗寺は、明らかに「現在風の取引、流通・個々から買い取って、まとめる人物(商売人かな?)が売る」という方式のあり方をとっていたようすがうかがえました。
 津山藩という田舎・農村における「流通の変化」とはいえ、商売のあり方は現在も基本のところではあまり変化がないのかな、とも思わされる分科会討論でした。
 二日間を通じて、いい勉強になり、久しぶりに「古典」に触れることが出来ましたお礼を申し上げ感想とします。
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●参加者寄稿

現状分析・理論〈同和行政終結と地域の人権課題を考える〉

    村上 保(兵庫人権連三田支部)


  ■村上保(兵庫人権連三田支部)からは、「部落問題解決の障害を克服する課題と丹有地域での同和行政終結の課題」と題する報告があった。まず、高校「現代社会」の部落問題記述が、二十数年前の実態であり、特別対策法の廃止すら記述していないことを指摘し、その是正の道筋を提起した。次に、兵庫県「人権教育基本方針」の人権認識の誤りを現代社会の記述と比較し、糺した。また、兵庫県・人権推進課の「同和問題の経緯・現状と今後の課題」の見解を歴史認識と現状認識の両面から誤りを詳細に批判・指摘した。最後に、丹有地域では、私的な団体であるが、各市が人件費と運営費に多額の補助をしている「同和・人権教育協議会」が、誤った人権概念と部落問題認識を住民に流布している実態を告発した。特に、篠山市と三田市では、未だに「同和地区」を指定して、「解放学級」を実施している。丹有人権連としてそれらの是正に奮闘していることを述べた。討論では、大阪・民権連の「人権問題に関する府民意識調査」などの大幅な是正の取り組みが報告された。
  ■中島純男氏(NPO法人地域人権みんなの会)からは、「地域における介護・福祉のとりくみ」と題する報告があった。全解連岡山県連は、今後の部落解放運動の発展的転換を討議し、二〇〇〇年六月に三門地域の住民要求実現の拠点「みんなの会館」を設置、その共同運動の広がりを踏まえ、二〇〇一年一二月に、「NPO法人地域人権みんなの会」を結成した。法人の事業として、@保健、医療又は福祉の増進を図る活動A人権の擁護又は平和の推進を図る活動Bまちづくりの推進を図る活動 などをあげ、介護事業所にも着手し、3カ所の「小規模多機能ホーム」を開設した。その現状と利用者の事例を詳細に報告した。稼働率が高く、運営として順調だが、事業所自体が介護することが大へんなケースが増え、地域包括的な人員とケア・マネージャーの確保などの課題も提起した。
  ■三村正弘氏(原爆被害者相談員の会)からは、「原爆被害者相談員の会のあゆみと被害者の人権」と題する報告があった。まず、「原爆被害者相談員の会のあゆみ」を小冊子「2015 ヒバクシャ―ともに生きる―」を参考にして、内容豊かに報告した。そして、原爆「被害者の人権」を考える上でのキーワードとして@アメリカは広島・長崎に原爆を投下A一二年間、アメリカと日本政府は被爆者を放置B日本政府は受忍論によって国家補償を否定C日本政府は402号通達によって在外被爆者の権利を剥奪D原爆症認定を認めない厚労省の実態 をあげ、それぞれについて現状・批判を行った。そして、残された被爆者問題として、原爆症認定など被爆者援護法の改正、ひとり暮らし、介護を要する被爆者など高齢被爆者問題、被爆者二・三世の問題、様々な被害を受けた国民との連携・連帯活動など7点を提起した。討論では、被爆者二・三世の現状が大きくクローズアップされた。
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●参加者寄稿

歴史U〈戦時・戦後の地域における政治構造と社会変動〉
  杉本弘幸   〈京都工芸繊維大学・佛教大学・立命館大学非常勤講師)


 今年度の歴史U分科会のテーマは「戦時・戦後の地域における政治構造と社会運動」 であった。第一報告は「高度成長前半期における地域社会運動と教育―京都府丹後地域のちりめん闘争と「丹後の教育」」を富山仁貴氏(関西学院大学大学院)が、第二報告は「翼賛選挙期大都市近郊における地域政治構造の変容―東京府八王子市を事例に」を中村元氏(新潟大学)が報告された。
 ■富山氏とは、共に京都府丹後地域の史料調査を行い、 中村氏は以前からその研究成果のすばらしさに注目していたため、大いに期待して久しぶりに研究者集会の会場に向かった。
 富山報告は教育運動が盛んであった丹後地域を対象とし、今日につながる学校教育が形作られた高度成長期における農村社会の動向や機業労働者の争議などに注目して、教育と地域社会運動の関係を検討するものだった。
 その成果は大きい。京都府丹後地域の戦後史研究は自治体史や概説書にほぼ限定され、社会運動史や教育運動史の研究成果も今西一氏や小林千枝子氏の研究が主要なものとしてあげられる程度である。このような研究状況の中で、丹後地域の諸社会運動や機業労働者の存在形態と運動を丹念に整理したことは重要である。 次に私も富山氏ともに立命館大学の田中聡氏が主宰する奥丹後地域の史料調査に参加した。そこで整理を行った奥丹後教職員組合の所蔵史料や富山氏自身が、独自の史料調査や聞き取り調査を行った成果がふんだんに活用され、実証水準を大幅に引き上げたことにある。以上のように富山報告は膨大な労力を投下した研究成果であった。富山氏は丹後地域の戦後史研究を継続されるとのことなので、今後の研究におおいに注目していきたい。
 ■中村報告は翼賛選挙期の大都市近郊都市における地域政治構造の変容を東京府八王子市に即して考察し、それを通して戦時期の都市史研究と近年の総力戦体制をめぐる議論に論点を提起するものだった。
 その成果は、まず研究史整理の卓抜さである。戦時期の都市史研究と総力戦体制に関する研究史が丁寧かつわかりやすくまとめられ、東京の近郊都市八王子市というフィールドから全体史に迫ろうという問題意識がよく伝わった。次に市会議員ひとりひとりの経歴や地盤などの該博な理解に裏付けられた丁寧な選挙分析である。さまざまなデータをしめされ、八王子市会議員の変遷や基盤の推移、翼賛選挙期に東京府が行った府下市会議員の銓衡委員制度や市会議員銓衡における町会の関与など地域政治構造が克明に明らかにされた。最後に問題提起と実証の見事な結合である。八王子というフィールドへの深い理解と、研究史への鋭敏な理解がこのような実証的かつ問題提起を含んだ報告を生んだといえよう。
 以上のように、両報告とも優れたものであった。今後も本研究者集会が、今回のような気鋭の研究者による最先端の研究史理解にもとづく実証研究の舞台となることを期待して、筆を擱く。
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