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第52回部落問題研究者全国集会 報告

 2014年10月25・26日 於:同志社女子大学今出川キャンパス

 第一日の全体会では、石川康宏氏(神戸女学院大学)の「大学生の原発・『慰安婦』問題の学び―ゼミでのフィールドワークと出版を中心に」が報告され、上野輝将氏(元神戸女学院大学)、平井美津子氏(公立中学校)からコメント発表が行われました。参加者112名。
 二日目の分科会の内、「思想・文化」分科会は、例年になく満席となり注目されました。各分科会のテーマ、参加者次の通り。

全体集会 報告:「大学生の原発・『慰安婦』問題の学び―ゼミでのフィールドワークと出版を中心に」
             石川康宏氏(神戸女学院大学)

1、歴史T 「地方城下町の多様な身分変化と非人・乞食」 報告二本23名

2、歴史U「日本近現代における福祉問題の歴史的検討」 報告二本18名

3、現状分析・理論「同和行政終結と今日の課題を考える」 報告二本17名

4、教育 「『教育改革』の検討」 報告二本23名

5、思想文化 「百田尚樹作『永遠のゼロ』を検証する」 報告二本23名

  ●参加者寄稿

※報告と討議内容の詳細は紀要『部落問題研究』213号に掲載されます。

第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

全体集会 ―― 石川報告

 石川報告は、大学教育実践者として、自らが出会った「従軍慰安婦」問題の衝撃から、1995年以来の大学生(3年次・女子)ゼミ運営の「基本的な型」の再編成に取り組む大学教育実践記録の報告である。

 まず、2004年度以降に、「従軍慰安婦」問題をテーマとするゼミ学習の再編成に取り組む。つまり三〜五時間に及ぶ毎週のテキストと映像の学びから正課外の東京・韓国のゼミ合宿のフィールドワークというゼミスケジュールの再編、それらの学習成果の出版(『「従軍慰安婦」と出合った女子大生たち』2006年等)・講演、教育方法の再編(石川の主張を押しつけない、自由な発言・調査・ゼミコンパ、石川以外の多様な立場の大人と接するフィールドワーク・聞き取り調査等)を特徴とする、ゼミ運営の「基本的な型」の再編成の取り組みであった。それらの営為には、意見交換で学習を深める集団学習、大人社会の中で役割を果たす経験、社会問題に取り組む大人との出会いの広義の学びがあった。

 こうしたゼミ運営方針を基本にして、東日本大震災(2011年3月11日)以降、テーマを「原発・エネルギー問題」とした。2012年度は、原発問題の基本についてのテキストと映像のゼミ学習、その学習成果の出版化(『女子学生のゲンパツ勉強会』2014年等)、原発銀座の福井への研修旅行・フィールドワークを通して「福島の事故は他人事ではない」ことを実感し、原発集会・大学祭企画への自主的な参加へ至り、ゼミ学習は正課外の活動へ発展した。2013年度も、引き続きテキストと映像での「原発」問題のゼミ学習、原発被災地の福島研修旅行・フィールドワーク、それらの学習成果の出版化(『女子大生 原発被災地福島を行く』2014年等)を行った。2014年度は、原発から原爆へと、つまり人類にとっての放射能の脅威(核兵器・核の平和利用の意味)というテーマへ広げ、テキストと映像の基本学習、広島研修旅行(平和記念資料館、原爆被害の聞き取り)、福島研修旅行・フィールドワークを実施し、現在は出版活動中である。

 こうして、石川報告は、「慰安婦」問題や「原発・エネルギー問題」というリアルな社会的解決課題にフィールドワークでアプローチし、それらの学習成果を出版公表することを重要な柱とする、青年期の市民教育・教養教育・普通教育としての大学教育実践の可能性(課題)を問題提起する。

    ※     ※     ※

 石川報告に対する平井コメントは、中学校社会科教師の立場から「慰安婦」連行の強制性を否定する安倍政権ら教科書攻撃の動きに抗し、学問・言論の自由・教育の自由を守り、近現代におけるアジア・太平洋戦争の加害・加担・被害・反戦・抵抗・責任の実相を捉える「慰安婦」問題の学習の重要性を指摘する。そして、(石川報告同様に)社会的解決課題の実相を捉える実際的で科学的な社会認識を育てることが、自他共に人権を保障する民主主義社会をつくる普通教育の課題として、初等中等教育以降の現場でも重視しなければならないと結ぶ。

 上野コメントは、社会運動史研究者・大学教師教育の立場から、若者の青年期の学びをめぐる戦後民主主義の危機を、閉塞感(増加する非正規労働者、不安・不満、イデオロギーの希薄)から日本の若者・非正規労働者が「反中・嫌韓」など排外主義・ナショナリズムに動員され、戦争を待望する状況認識に立って、石川報告における青年期の学びに、学問と現実をつけ、学生一人ひとりが教室にとどまる文献学習にとどまらず、「慰安婦」問題や原発問題という当該問題が起こる現場の調査や人々の聞き取りの現場主義に徹し、学問と現実を結びつけるゼミの可能性を捉える。そして、そのような大学ゼミ運営を通して、戦後民主主義の理念を体得・実践とする市民教育の実現を期待したいと結ぶ。
 こうしてみると、石川報告および両コメントは、総じて戦後民主主義や憲法を理解しにくい危機的状況に抗して、点数・序列で競争を煽る現代教育政策・教育「常識」で見失われがちな初等教育以降の市民教育・教養教育・普通教育の可能性(課題)についての重要な問題提起であった。戦後、日本国憲法・旧教育基本法の教育条理は、「真理と平和を希求する」人間性を育てるためには「あらゆる場所、あらゆる機会において、学問の自由を尊重し、実際生活に即して、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力による」学びを重視し、学問的真理・真実の認識を育てる教育空間、社会的解決課題を含む実生活と結合する教育空間、自他の主体性・共同性と集団の英知を結ぶ教育空間を創る教育方針(旧教育基本法第2条)を説いた。全体集会は、ここに込められた戦後教育改革の「未完成の可能性」を確認するものであった、と考えることが出来る。


        (森田 満夫/立教大学)
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第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 1 : 歴史 T

 今年度 の 「歴史T」分科会 では 、「地方城下町 の 多様 な 身分変化 と 非人 ・ 乞食」 をテ ー マとして 、藤本清二郎氏 の 著書『城下町世界 の 生活史   没落 と 再生 の 視点 から 』 ( 清文堂出版、 二〇一四年 )を 題材 に 議論 が 進 められた 。
 藤本氏による 「城下町 の 賑 わい・ 没落 と 卑賤視 ― 物売 りと 物貰 い― 」 は 、著書 の 内容 を 時系列 に 再構成 したうえで 、「 こわれた 生活」 という 観点 から 報告 されたものである 。

 まず 、「 こわれた 生活」 の 再生形態 として 吹上非人村 について 論 じた 。和歌山城下 には 、 中世 に 端 を 発 し 、牢番役 ・ 掃除役 を 負担 する 頭仲間 が 住 む 岡島 かわた 村 と 、一七世紀前 半 に 形成 された 吹上非人村 があり 、非人村 は 頭仲間 の 支配下 にあった 。一八世紀 には 、古 くから 家持 の 非人 であった 「座非人」 と 平 の 家持 の 非人 が 合 わさって 非人集団 を 形成 して いたとする 。
 つぎに 、「 こわれた 生活」 の 構造 として 、在家身分 ( 町人 ・ 奉公人 ・ 百姓 など)の 没落 過程 について 分析 した 。一八世紀 の 和歌山城下 には 、移動 する 物売 りや 芸能者、宗教者 など( 「胡乱者」 )が 徘徊 していた 。出身地 は 、藩内 にとどまらず 畿内 ・ 遠国 など 広 きに わたる 。 これらの 者 たちは 、家族崩壊 や 飢饉 などにより 生産世界 から 離脱 し 「没落」 した り 、犯罪 を 犯 して 「逸脱」 した 者 であった 。背景 には 、労働力 の 移動 など 和歌山城下 に 完 結 しない 経済社会 のあり 方 があったとする 。 また 、正徳四年 ( 一七一四 )の 飢饉 に 際 し 、 翌五年 には 町方 で 多 くの 弱人 (よわにん: 町人身分 の 中 で 生計維持 が 困難 な 人々 )が 発生 し 、勧進 を 行 うようになる 。 この 飢饉 は 町人世界 と 非人世界 との 区別 がつかなくなる 重要 な 契機 だと した 。 これらの 分析 から 、非人集団 の 周縁 には 、城下 を 徘徊 する 者 や 弱人、流動的 な 乞食 ・ 非人 などがおり 、非人集団 は 単一集団 ではなかったと主張した 。

 また 、「 こわれた 生活」 の 救済 と 再生 として 、勧進 を 行 う 者 たちの 多様性 について 述 べ た 。元文四年 ( 一七三九 )に 、薬売 りがのぞきからくりで 客寄 せを 行 い 「 えた 」仲間 から 芝銭 を 求 められた 事例 から 、一八世紀には物売 りか 勧進 かの 区別 が 曖昧 であったと 指摘 した 。一九世 紀段階 には 、物貰 い・ 物売 りともに 存在形態 がさらに 多様化 していったとする 。 これは 、 藤本氏 が 著書 で 紹介 した 貴重 な 絵巻「天保年代物貰集」、「物売集」 ( 和歌山県立図 書館蔵 )から 着想 を 得 たものと 思 われる 。
 最後 に 「 こわれた 生活」 の 近代 への 展開 について 、一九世紀 には 軽犯罪 を 犯 した 者 を 非 人集団 に 組 み 込 み 身分化 せず 、溜 に 収容 するようにしたことから 、藩 は 御救対策 から 治安 維持 へと 方針 を 変更 したこと 、 その 後、明治四年 ( 一八七一 )の 戸籍法 により 勧進 が 否定 されたことで 、非人身分 が 近代 の 原理 に 組 み 込 まれていくと 見通 した 。

 ついで 森下徹氏 の 報告「〈都市下層社会〉 から 考 える 地方城下町」 は 、藤本氏前掲著書 の 書評、萩城下 を 事例 に 都市下層社会 について 検討 したものである 。藤本氏 の 著書 は 、和 歌山城下 における 日用層 やアウトロ ー集団 のあり 方 についてさらに 考察 が 必要 だと 課題 を 提示 したうえで 、萩城下 の 日用層 やアウトロ ー集団 について 分析 を 行 った 。零細 な 借屋層、 「 うろたへ 者」 と 呼 ばれる 無宿状態 の 者、一八世紀初 め 頃 から 存在 し 、瀬戸内地域 に 広域 的 ネットワ ー クを 持 つアウトロ ー集団「 すいほう 」 の 存在形態 について 明 らかにした 。 そ のうえで 、地方城下町 である 萩 と 和歌山 の 共通性 は 、一八世紀前半 に 借屋層 が 形成 され 、 乞食 などの 勧進層 が 再生産 されるようになった 点、巨大城下町江戸 とは 異 なり 、日用 層 が 持続的 に 形成 されなかった 点 であると 論 じた 。

 討論 の 内容 は 多岐 にわたったが 、大 きな 論点 は 、「 かわた 」 ・ 非人 ・ 弱人 ・ 野非人 など と 都市下層社会 ・アウトロ ー集団 との 関係 についてである 。議論 の 中心 になったのは 、警 察機能 の 問題 と 日用層 との 関係 である 。警察機能 については 、萩城下 では 目明 が 公的 に 持 っていたが 、 「 すいほう 」 もその 役割 を 担 っていた 。一方、和歌山城下 には 目明 は 存在 せず 、警察機能 を 持 っていたのは 頭仲間 であったことが 確認 された 。 つぎに 、日用層 との 関係 では 、地方 の 城下町 では 武家奉公 が 有力 な 奉公先 としてあり 、武家奉公人 だった 者 が 職 を 失 い 勧進層 になる 場合 があるとも 考 えられるため 、武家地 の 様子 を 含 めて 広 く 検 討 する 必要性 が 指摘 された 。

 最後 に 藤本氏 は 、勧進 という 視点 からは 多様 な 存在 が 浮 かび 上 がるとし 、 それらを 含 み 込 み 「城下町世界」 が 存在 していたと 述 べて 締 めくくった 。地方城下町 を 勧進 という 視点 から 分析 した 藤本報告 と 、都市下層社会 の 観点 から 検討 した 森下報告 との 違 いが 非常 に 興 味深 く 感 じられた 。今後、様々 な 切 り 口 から 分析 が 行 われることで 、被差別民 とそれをと りまく 多様 な 人々 の 実態、地方城下町 の 特質 が 解明 されていくこと
が 望 まれる 。

    (高垣亜矢/日本学術振興会特別研究員、東京大学史料編纂所国内研究員)
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第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 2 : 歴史 U

  これまで研究所は、分科会などで保健・医療や行き倒れなどに関する問題を取り上げて検討してきたが、二〇一四年度の分科会・歴史Uは、福祉をめぐる問題が、当該社会における政治・行政と人々の生活・生存及びその実現をめぐる運動とを切り結ぶ状況を端的にあらわすものであるという問題関心にもとづいて、「日本近現代における福祉問題の歴史的検討」というテーマで開催された。

 報告者は経済史・福祉史の大杉由香氏と社会福祉学の鈴木忠義氏、司会は佐々木拓哉氏と竹永三男氏がされた。 
 まず、大杉氏の報告「近代日本の福祉問題の歴史的特質―事例研究(戦間期における名古屋市及びその近郊と大阪市)から現代への連続と断絶を考える―」は、戦間期における名古屋市と大阪市の方面委員制度(現在の民生委員制度の前身)を比較しながら、近代日本の社会福祉の歴史的特質について、特に戦前と戦後の連続面と断絶面を明らかにすると同時に、当該期における都市と農村関係や、両市における在日朝鮮人や被差別部落の扱われ方などにも言及するという意欲的なものであった。

 以前から同時期の大阪府方面委員制度に関心のある私は、大杉氏の報告を楽しみにしていた。大阪の方面委員制度の発案者であった小河滋次郎が、愛知県でも同制度を創設する際に同県の嘱託として迎えられ、いろいろと助言をしており(永岡正己「愛知県における社会事業行政の成立―故・三上孝基氏インタビュー記録―」『日本福祉大学社会福祉論集』第一一四 号、二〇〇六年)、先行する大阪の経験が愛知県での制度創設にどのように活かされたのか、ということを検討することによって、大阪が抱えていた課題や特質なども明らかにできるのではないかと考えていたからである。
 大杉氏は、大阪との違いとして、愛知県では警察関係者が委員に任命されていない、各方面の代表者である常務委員宅が方面事務所になっている(大阪の場合は小学校が事務所になることが多い)、無職者が委員になることが多い、などを指摘した。小河の助言内容から予想できたものもあったが、大阪がスタンダードだと考えていた自分としては意外な点もあり、反省させられた。また、このような違いがなぜ生じたのか、両地域における社会事業の歴史的展開、さらには社会構造の違いから説明する必要があると感じた。

 鈴木氏の報告「二〇〇〇年以降における福祉課題の諸相―「行旅死亡人」を通して―」は、鈴木氏がこれまで分析されてきた「行旅病人及行旅死亡人取扱法」(行旅法)で規定される「行旅死亡人」という、行旅中死亡して引き取り人のない者、あるいは行旅中ではないが住所もしくは氏名が不明であり、かつ引き取り人がいない死亡者の現状とその特徴を示すとともに、二〇〇〇年以降の福祉政策に大きな影響を与えた厚労省の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」という審議会が、二〇〇〇年一二月に出した報告書における社会福祉対象のとらえ方を概観し、その中で「行旅死亡人」はどのように位置づけられるのかを検討したものであった。

 まず、行旅死亡人の現状については、屋根のある場所など、地域社会で社会生活をしながら孤立して死亡人となる、いわば行旅法では想定されていない死亡者が毎年一定数存在すること、そのうちの大半が病院で死亡していることから、病院が地域で居場所を失った人々を受け入れる最後の受け皿の役割を果たしていることなどを指摘された。なお、二〇〇〇年代前半の行旅死亡人の状況については、昨年刊行された『部落問題研究』二〇七号に鈴木氏の論文「今日における行旅病人及び行旅死亡人取扱法の対象者像―二〇〇〇年以降における『行旅死亡人の公告』をもとに―」が掲載されているので、参照されたい。

 次いで、検討会報告書の中での行旅死亡人の位置づけについては、報告書は、行旅死亡人など社会的に排除されている人々を、地域の助け合いなどの「共助」によって「社会的に包摂すること」を期待していると指摘した。しかし「地域」という枠組みのなかで排除され、居場所を失っている人もおり、それは可能なのかと疑問視され、その上で、社会的排除の場ともなりうる「地域社会」のあり方や「社会的包摂」という考え方そのものを問い直す必要性を主張するとともに、最後のセーフティーネットとしての公助の重要性を指摘された。

 両報告とも内容の濃い、力のこもったものであったが、その後の討論も刺激に満ちたものであった。鈴木報告は、歴史分科会では珍しい現状分析の報告であるため、議論が十分にできるか、私は不安に思っていたが、それは杞憂であった。主として貧困や社会福祉を深く規定する日本資本主義そのものの構造的・具体的把握の方法、さらには日本資本主義の一環としての都市社会構造の全体把握の方法、各種の矛盾を説明する際の「差別」という言葉の使い方、被差別部落の、特に住宅をめぐる現状などをめぐって議論が交わされ、終了後、充実した気持ちで帰路につくことができた。

 研究所は今回の分科会のテーマをさらに発展させて、共同研究を計画されているようである。今回の報告や議論がその第一歩となることを願って筆をおくことにする。

     (飯田直樹/大阪歴史博物館)
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第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 3 : 現状分析・理論

 「同和行政終結と今日の課題を考える」というテーマで、午前中は久松倫生(松阪市議会議員)による「三重県における同和行政終結の取組みの現状と課題―松阪市を中心に―」の報告を受け、午後には荻原園子(龍谷大学大学院)・黒川奈緒(立命館大学大学院)・池田さおり(同)による「貧困の世代連鎖の実態と支援・克服の課題―沖縄県都市部における事例を通して―」の報告と総合討論をおこなった。

 久松倫生氏の報告は、一九八三年以来の(元)解同幹部と市行政との癒着に決着をつけ、特定人物へ公金が流れる仕組みを断ち切った歴史的転換が、二〇一四年九月の松阪市議会でなされたというものであった。三重県では、一九七五年時点で解同が全体として全解連に移行し公正な同和対策事業がなされてきたのであったが、突如一九八三年に解同が組織され、特定人物の社会同和指導員への採用要求をきっかけに対行政要求が肥大化した。一九八七年には同和行政継続のために松阪市同対審が再開され、一九八九年には社会同和指導員や松阪地区同和教育推進協議会(松同推)が設置されるなど、解同の対行政圧力に屈した市行政と解同との癒着が進行した。

 全国的には、一九八〇年代半ばからの相次ぐ地対協「意見具申」などによって、肥大化し公正さを失った同和行政に対する見直しが進んだのであるが、松阪市の事例は、こうした全国的動向に対する逆流そのものであった。一九九〇年代に入っても松阪市においては、解同と市当局との「合意文書」にもとづいて、市が発注する人権啓発冊子の発行や人権相談委託業務などが特定人物に対して契約され、公金が流れる仕組みができあがっていた。このような市民不在のままに水面下で進行した不公正な同和行政は、その一端が二〇〇三年に発覚し、市議会での追及が始まった。行政・教育・保育・部落史編纂など広範な領域に渡って、特定個人に「一本化」されていた同和行政の実態が暴露され、百条委員会開催寸前まで事態は進展したのであった。二〇〇五年の合併による新市発足を契機に、特定個人との癒着は、市民や市議会の眼には触れない(2号)随意契約に移行し、その実態は巧妙に隠されてきたのであった。

 松阪市同和行政のゆがみに対する批判は、すでに一九九一年市議会での「部落解放基本法制定に反対する請願」の採択、同年、市が土地と補助金を用意して議決された解放会館建設が地元住民の反対で頓挫するなどとして現れていた。また、一九九四年には解放保育の押しつけが地域と保護者の反対で実施できなかったりした。

 こうした動きの集大成が、昨年から今年にかけての市議会における随意契約の実態解明であった。人権啓発四事業(人権啓発冊子作成委託・人権相談委託業務・人権フォーラム講師派遣業務委託・人権関係職員等養成講座委託業務)が、同一人物が代表者である「ゆめネットみえ」や松同推に随意契約されていて、しかもその団体の会計報告にも記載されていないことから、事実上、特定個人の収入となっていたことが明らかになったのである。地元紙「夕刊三重」が、同和タブーを破って「人権4事業、不適正」「随意契約めぐり不認定」「(市の松同推とゆめネットへの)"丸投げ"に批判続出」と報道した。随意契約は廃止され、市行政の自浄能力が試された出来事であった。
 荻原・黒川・池田による報告は、毎年、県民所得最下位である沖縄における貧困の世代連鎖の実態を実態調査から浮かび上がらせようとした意欲的な報告であった。同和地区だけが貧困であるはずはなく、一般地区(住民)にも現代的貧困を発生させるチャンネルが作動していること、そうした世帯への支援・運動のあり方を考えるうえで好事例の報告でもあった。

 沖縄県の都市部で活動しているNPO法人が支援している三二名に対するインタビューを二〇一三年から開始し、成人に関しては健康状態・学歴・職歴・転居歴・家族歴・社会保障受給歴・支援団体との接触歴など、子どもに関しては一日の過ごし方・熱中していること・親との関係・将来の夢などを聞き取り、貧困の「経済的物質的側面」「社会関係的側面」「家庭環境・家族生活」の諸相を分析し報告した。

 沖縄戦による大量の欠損家族や孤児・身障者などの発生、本土復帰以前における憲法規範の不在やアメリカ支配による貧困層の拡大再生産が、沖縄県の貧困を考える際の特徴であるわけだが、すでに一九八八年時点でネグレクトによる児童虐待が沖縄では全国に抜きんでていた。両親が離婚して、母親が夜働いていて、子どもを朝に起こせないから子どもは学校に行かない。家庭は荒れて、子どもは挨拶の仕方が分からない、片付けができないという当時の状況は、現在でも継続している。

 戸室健作によれば、沖縄県のワーキングプア率は恒常的に高く、また十代で子どもを産む若年出産の割合(二・六%)が、全国平均の二倍であるため、多子世帯が多くなっている。若年出産は、若い母親に対する教育・就労・育児支援などの多様なニーズを生み出す一方で、未婚出産も多いことから不安定就労や生活困窮に陥りやすい。保育サービスは、常に待機児童の多さに直面していて、認可外保育所への依存率(三七%)は、実に全国平均の四倍にあたり、出生率の高さの反面での子育て支援体制の不備が指摘できる。

 こうした沖縄の特徴を踏まえて調査事例からは、子どもたちの食と住に関しては、朝ご飯を食べない子どもの多さ、四四・四%の教員が「給食以外の食事をとれない子がいる」と答え、半数以上の教員が「夜子どもだけで過ごしている」と答えた。貧困は確実に子どもたちの夢の実現に対する障がい物であり、「裕福な家庭のお友達は、家も広くて塾にも通っていて、テストの点数も100点をとっている。私も100点をとってみたい。私も塾に行きたい」、「問題集を買うお金がないので、本屋に入ると問題集の問題をノートに写している」と回答した子どももいた。高校教師の一人は、子どもたちについて、「自己肯定感が低く」、「学習することを諦めており、・・・"下にいる人間"だと思っている感じがする」と発言している。

 また、沖縄における観光地化と子どもの生活破綻・非行とは密接な関係にあり、商業施設・宿泊施設の増加は母親の夜間就労をもたらして、不本意ながらもネグレクト状態になるという「消極的ネグレクト」が多数発生していると報告した。
 親たちには子どもの疎外感や孤独感を理解する余裕がなく、子どもたちの非行・不登校・低学力・低学歴ひいては将来大人になっての貧困という連鎖が、とりわけ配偶者に助けを求められない母子家庭や子ども一人一人に接することができにくい多子家庭に顕著に発生している。子どもを抱えた女性のケースでは、本人もまた子どものときに貧困であり(三世代にわたる貧困のケースもあった)、結婚そして離婚して母子家庭となり、子どもと自分との生活を自力でなさざるを得ず、豊かな人間関係や地域支援資源との遭遇機会の喪失=孤独が広がっている、と報告した。

 こうした貧困の発生に対して沖縄の支援団体は、たとえばNPO法人「いっぽいっぽの会」が緊急一時宿泊所を提供したり、障害者グループホームを設立したりしている。また、子どもに対する放課後学習=「寺子屋」活動を継続的に展開しているNPO法人「まちなか研究所わくわく」では、「本当に来てほしい人に来てもらえない」現状を打開すべく、登校させない(登校しない)ことに問題意識を持っていない親(「困り感」の喪失)へのアプローチを工夫させつつある。沖縄では、公行政の貧弱さを補う市民の主体的取組=「民(たみ)の力」が活発であり、ここに事態打開のエネルギーがあるという報告であった。

 このようにして今年度の分科会では、沖縄の事例報告をとりあげることで、地域生活における貧困問題が部落内外に共通する課題であり、また地域人権活動の当面する焦点であることが確認できた。


                       (河野健男/同志社女子大学)
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第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 4 : 教育


 「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要がある」として設置された「教育再生実行会議」は、「いじめの問題等への対応について」〈第一次提言〉(二〇一三年二月二六日)「教育委員会制度等の在り方について」〈第二次提言〉(同年四月一五日)「これからの大学教育等の在り方について」〈第三次提言〉(同年五月二八日)「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」〈第四次提言〉(同年一〇月三一日)「今後の学制等の在り方について」〈第五次提言〉(二〇一四年七月三日)と矢継ぎ早に提言をまとめ公表している。今年の教育分科会は、こうした「教育改革」の検討をテーマに開催された。これらの「改革」の根拠の一つにされたのが大津市でのいじめ事件であり、教育委員会制度や道徳の特別な教科化もこれに深く関連している。

 分科会では、二つの報告が準備された。第一の報告は、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)さんの「安倍内閣の『教育再生』と教科書問題」である。第二の報告は三上昭彦(元明治大学)さんの「教育委員会制度改革の問題点」である。

 俵さんは、「安倍政権の「教育再生」方針は、『国家教育権』の立場をより徹底し、教育の中央集権化と国家統制をあらゆる分野で徹底する」ものであり、「教育再生」政策は「グローバル競争に勝ち抜くための大企業(無国籍企業)が求める人材育成(新自由主義)」と「『国防軍』とそれを支える人材育成(新国家主義)」をめざすものである。そして、具体的な内容として「教員と教育内容の管理の徹底、とくに政治的行為・政治教育禁止」をあげ、教員免許規定や教育公務員としての責務や処遇に関する権限等について説明され、政治的目的をもった政治教育の禁止などの制限と罰則規定を設けることにより、原発などの問題の扱いに規制が生じてくる。こうした政策過程に組み込まれて道徳の教科化が登場した。道徳の教科化に関する審議過程にふれたあと、教科書検定問題も報告された。

 三上さんは、教育委員会制度の歴史的経過を概括し、今日の教育委員会制度の抜本的な改革が叫ばれ制度改革が展開されていることについて報告している。改正地方教育行政法(二〇一四年)の改正骨子を四点指摘する。第一は「すべての自治体に、首長が招集する『総合教育会議』――首長と教育委員会(教育長・教育委員)を新設し、首長の権限で『教育の振興に関する施策の大綱』等を策定することを義務づけたこと」第二は、「現行の教育委員長と教育長を『一本化』した任期三年の教育長職」を新設し、「首長が、議会の同意を得て、新教育長を直接任命・罷免」できるとしたこと。第三は、「現行の『合議制』執行機関としての教育委員会(新法教育長・教育委員)は存置」され、「教育委員会の専権事項は継承されるが、教育委員会は、新教育長の任免権と新教育長に対する『指揮監督権』という重要な権限を失う」ことになり、「新教育長主導の委員会体制と運営」になっていくこと。第四は、「文科相(文科省)の都道府県教委、市町村教委に対する関与が強化されたこと」である。
 三上さんは、改革で強調されている「民意」に着目し、「今日の地方教育行政法による任命制教育委員会制度は、かつての公選制時代のように『教育的な民意』を直接反映させる制度的保障は欠落している」と指摘する。

 討論では、道徳教育の教科化をめぐっての問題が議論された。たとえば、『心の教育』から『わたしたちの道徳』にかわったが、それは改題なのかそれとも改訂なのかなどである。『わたしたちの道徳』は『心のノート』を踏まえて新たにつくったものであり、物語がたくさん入ったことと書き込みが増えた点などが指摘された。また、道徳教育について、歴史的な経過から考えると批判や反対はあったが、まともに道徳について対応してこなかったのではないかという意見もあった。それは特設の道徳の時間については、政治的な面での問題はあったとしても、ともかく人間の発達において「道徳」が必要であるのであれば、その中身を考える必要があったのではないかということである。新たにつくられる道徳の教科書については、多くの会社が作ってくるであろうということとその採択にかかわっても地方によって仕組みが異なるところもあるいうが意見もあった。その他、道徳教育の教科化や教育委員会制度改革については、いじめを契機にとかの理由は挙げられていても基底的には新自由主義に結びついた中央集権的な改革のなかでのことであり、表面上は地方分権化といいつつも「中央集権的分権化」の構造があるのではないか。戦後、日本はどんな国、社会をつくろうとしたのか改めて検討すべきである。これからの教員養成や教職課程に関する意見などもあった。 


                         (川辺 勉/部落問題研究所教育研究会)
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第52回部落問題研究者全国集会の報告(『人権と部落問題』2月号より)

分科会 5 : 思想・文化


 分科会テーマ「百田尚樹作『永遠のゼロ』を検証する」

 二つの報告があった。(1)小説を検証する―秦重雄(大阪府立桜塚高校)(2)映画を検証する―家長知史(京都歴史教育者協議会)

 <小説を検証する――秦重雄氏の報告>

この小説が四五〇万部をこえるベストセラーとなり、映画もロングランを続けた状況をふまえて解読し、おおよそつぎのように指摘した。

  1. 特攻の非道、命令した軍上層部の卑怯さを余すところなく描き反戦文学と読み間違えそうである。
  2. 当時の日本社会で宿命的貧困と過酷な労働から脱出するには軍隊しかなかったことが繰り返し語られている。
  3. 特攻の物語と現在の物語を進行させるダブル・ストーリーになっており、現在の物語の若者に将来への希望を語らせて感動を引き出す工夫が施されている。
  4. しかし、主人公の人格形成について説明が不足し、行軍の実態や家父長制家族などは表現されなく、主人公にリアリティーがない。
  5. 戦後の新聞記者は傲慢な単細胞思考の典型として描かれると同時に、特攻を戦犯と断じて墓もつくらせなかった「戦後民主主義の非情さ」を読者に植え付けている。
  6. 作者のメッセージは、「祖父たちは何と偉大な世代だったことか。あの戦争を勇敢に戦い、戦後は灰燼に帰した祖国を一から立て直したのだ」「この美しい国を守るためなら、死んでも惜しくない」、と伝えることにある。戦後民主主義を否定する方向へ導く役割を果たす危険性がある作品である。

 <映画を検証する??家長知史氏の報告>

 ロングランをつづけた映画は、観客七〇〇万人突破、興行収入八六億円、コミック版もDVD版もつくられていること、歴史教育者にも、戦争肯定や特攻礼賛ではなく平和教材として活用できる、という意見があること、を紹介して、人々を引きつけたその魅力を考える報告である。

 映画の「予告編」と一九五〇年代の映画「雲ながるる果てに」(家城巳代治監督、一九五三)の一部を上映しながら、おおよそつぎのように指摘した。

  1. 多くの読者、観客を動員した作品の魅力は、特異な主人公を中心におき、不条理で強制的な死と人間的幸せを求める生を対峙させるという物語の設定は分かりやすい。
  2. 沈着冷静で理性的かつ技術優秀な主人公に感情移入、共感しやすいため、ひきこまれていく。
  3. 「海軍航空隊一の臆病者」という人物像が実像に向って薄皮をはぐように次第に変化していき興味を募る。
  4. 自らの信念に反して特攻に志願した主人公が、最後の出撃でとった行動のミステリーも魅力になっている。

  さらに課題として、歴史を題材にした小説や映画は虚構ないまぜだから、その時代を正しく認識することの重要さ、主人公にどれだけの現実性があるか、戦死した人に寄り添うだけでなく時代状況を見つめて、特攻の死や遺族を生み出す社会にしたくないならば、どんな社会にしたいのかを深く考えなければならない、ことなどを指摘した。

 <討論>

 今日的なテーマであったからか、例年になく多数の参加者(二三名)があり、多くの感想、意見が出された。

 映画を見ていない人も、感動したという声を多くの人から聞いている。高齢者も中学生も感動したと言っている。しかし、映画にはいのちの尊さや戦争の反省はなくゲーム感覚である。戦後七〇年という今日、この作品が受け入れられている社会の空気に懸念がある。映画「雲ながるる果てに」は、もう二度と戦争はしたくないという反省があった時代だが、この映画は戦争を拒否してはいない。――小説、映画ともに今日の社会に受け入れられていることを危惧する発言。
家族のために生きる主人公のかっこよさ、偶然を多用した「あり得ない」ような話とミステリー手法、など巧みに工夫されている。――映画手法、作品の作り方についての発言。その他、知らぬ間に戦争に巻き込まれていく社会心理、若い世代が持っている空白感へ揺さぶりをかける作品、戦後民主主義、教育の持つべき責任を感じる、などの問題点、課題も提起された。
                   
      (尾川昌法/部落問題研究所)
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参加者の寄稿
 1,大学教育の中で学生の学びを如何に保障するのか・・・・・・・京都・河野健夫(研究所会報226より)

 2,若い人たちのこと、大学生のことを知りたいと思って・・・・・・・奈良・山田奉子(研究所会報226より)

 3,部落問題研究者集会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・京都・長澤伸一(『人権と部落問題』1月号より)



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